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column 20

古町芸妓 あおい2022.06.15

伝統を未来へつなぐ、
新潟花柳界で
私だけができること。

全国初の置屋を株式会社化した柳都振興より、初の独立を果たした古町芸妓のあおいさん。インタビュー会場はかつての待合“美や古”を改装した古町柳都カフェ。あおいさんが入ると場がパッと明るくなって、大輪の花のような華やかさと共に凜とした空気に変わります。古町の芸妓文化がどのように育まれたのか、そこに人生を重ねたあおいさんにはどんな思いがあるのか、お話を伺ってきました。

古町芸妓 あおい1986年生まれ。新潟市東区出身。馬に関わる仕事をするのが夢だったが、アレルギーの発症により挫折。失意の中で母から誘われた芸妓の舞台を鑑賞し、その美しさに夢中になり芸妓の道を志す。高校卒業後、柳都振興(株)へ入社、売上げトップの人気芸妓に。入社10年目の2015年に独立して置屋「津乃」を設立。

全国初、置屋の株式会社

古町芸妓(げいぎ)の歴史について教えてください。

詳しい文献が少ないもので明確な起こりはわかりませんが、江戸時代の文献に「新潟芸妓は江戸の芸妓にも引けを取らない芸達者で美人揃いである」とあったそうです。多い時で400名ほどこの古町にいたらしく「警察官の数より多かった」と一つ話をお聞きしています。

今の古町通りは飲み屋さんなど飲食店のビルになっていますが、もとはお料理屋さんか、置屋さん、待合さん。あとは、関係のある小間物屋さん、お衣装屋さん、料理屋さんに納める豆腐屋さんとか、生活のためと言うよりは“花柳界のための町”ができていました。

柳都振興株式会社が設立されたきっかけは?

芸妓さんが400名から100名ほどまで衰退してしまった頃に、最年少が30代。80代まで全ての年代が揃っているけど、若手が一人も入らない。それが20年ほど続いたそうです。

「これではまずい。芸妓文化が無くなっていく……」と当時40代ぐらいのお姐さん方が地元の経済界の方々にご相談されたら、「それは由々しき事態だ。じゃあ、どうして入ってこない?」と問題提起から始まったそうです。

そして出た結論が、「置屋を株式会社にしよう。きちんと福利厚生をする中で芸妓さんが芸事を学び、ゆくゆくは独立して、色んな形で花柳界の分母を増やそう」であり、柳都振興株式会社が創立されたとお聞きしています。平成と共に始まりましたので35年ぐらいになります。

置屋さんを株式会社にした全国初の試み。古町で成功した秘訣は?

言い出しっぺが花柳界のお姐さん達だったからで、「置屋ごとじゃなく、“古町という町”で若手を育てましょう」という流れにしてくださったのが一番大きいと思います。

株主も新潟の錚々たる経済界の方で、本社が新潟市にないと株主になれなかったので、「なぜ俺たちに花柳界を応援させない!」と設立後に苦情が来たそうです。それで後援会という別の形で応援していただいているとお聞きしてます。すごくユニークなビジネスモデルだなと思いますね。

料亭さんも、「うちの花柳界の新人です」と自分の子のように紹介してくださって。たまに厳しく、向き合って育てていただきました。そこが古町のすごい所です。

挫折も吹き飛ぶ別世界

あおいさんはどんな子どもでしたか?

大人の話が大好きなおませさんでした。自転車で転んだ傷が顔にいくつもあって、乗馬をしていたので真っ黒、黒に焼けてました。あまりにもお転婆だったので、小学校1年生の時に無理やりお茶に通わされました。

インディ・ジョーンズのような研究者も「かっこいいな~」と思っていました。好奇心がすごく強くて、小中高と図書館貸出ランキングトップになるほど本を読むのが好きでした。けれど、うちは母子家庭で、きょうだいが下に3人いて。「大学に行かないで働いた方がいいな」と思っていました。

それで芸妓さんになったのですか?

本当は、馬に関係する仕事に就きたかったんです。馬のお世話をして、尽くせば尽くすだけ返ってくる。すごくシンプルな世界。頑張った分だけ身に付くし。

けれど、ある日突然!馬アレルギーになりまして……、夢破れたわけですね。そんな時に、「あなた宝塚好きでしょ。新潟にも芸妓さんがいて舞台があるから見に行こうよ」と母に誘われたんです。母の影響で私も舞台が好きでしたが、やさぐれていたのでブーブー言いながら付いていったら、すごく綺麗で!落ち込んでから初めて色がパッと鮮やかに見えたというか……。

もう夢見心地で見ていたら、隣に座っていた50〜60代の品の良いご婦人がスーッと舞台を指差して、「あの右手で踊っているのが私の同級生よ」とおっしゃって、その時の衝撃といったら!?美魔女という言葉が世に出る前だったので、「何を食べてどう過ごしたらあんな風になるの?」ってものすごく興味が湧いて、人生1回きりだからダメもとで柳都振興を受けてみようと……。そうしたら人手不足で受かりまして(笑)

柳都振興に入ってからのエピソードは?

ありとあらゆる失敗の地雷を踏み抜いて来た事でしょうか(笑)。何年か前に後輩が、「あおいさん、聞いてくださいよ。すごく落ち込んでる子がいて。でも別の子が、大丈夫だよ、落ち込んだ時は、あおいさんに失敗談を聞いてごらん。私はまだ全然平気と思えるから……、と言ってましたよ」と聞いて、なんだと~!って(笑)

マッチでお客様のおタバコに火をつけて差し上げますが、ライターじゃダメなんです。そして、お店のマッチが必ずあるんです。行形亭、鍋茶屋、金辰、一〆って。それを捜すのがうまくできなくて、「わかった、胸元に仕込んでおけばいいんだ!」ってやったら、「振袖さんがすることじゃない」と怒られたり……。

あちこちで話していますが、かつらを転がした事もあって。正座で足がしびれて限界に。立ったら振袖の中に足が入ってビリッと破けて、たたらを踏んでしまって。「お部屋にあるものを倒してはならん!」と踏みとどまったら、今度はかつらがコロコロと転がっちゃったっていう……(笑)

「新聞を読みなさい」と言われて、頑張って読んで。「最近火事が多いですねぇ」ってお座敷で言ったら、その瞬間にシーーン……。何と、火事になった会社の方でした!?お姐さんが向こうで怖い顔をしてるんですよ。もう怒られます、怒られます。

コメディーみたいな失敗のオンパレードですね。その後、はるかさんと二枚看板と言われていた時代はどんな思いがありました?

一つ歳上の春花さんの事はとても意識していました。私はずっと春花さんのスーパーサブで、「春花はそこにいるだけで、綺麗なだけでいいんだ。あおい、お前は飲め!」みたいな感じで、セットで呼ばれる事が多かったんですよ。「このセットを取れるか、取れないか」とありがたい事にお客様からよく言っていただきました。

私の永遠のテーマが「品とは?」ですが、春花さんは品があるんですよ。芸事もすごく達者で、筋がいいとお師匠さんから褒められて。そつがなくて、地雷を踏まない。1年しか違わないのに、なんで追い付けないんだろうと色々考えました。

お姐さんにも、「どうしたら私は売れるんでしょう」と相談しましたね。それで、春花さんはお酒が飲めない静かな方でしたから、「私はお酒をいただいて、場を明るくして、三枚目になればいいんだ」ってヒントをいただいて。もう二枚目は埋まってるから、「どこに、どなたに呼ばれても、笑顔でニコニコ。いただきます!楽しいです!っていう風に行こう」と数年かけて結論を出しました。そして、その方向に邁進……、爆進しましたね(笑)

セット以外でも私は賑やかしサブで、お酒が苦手なお姐さんとか、お酒がお好きなお客様に行って、売り上げはずっと春花さんを超えてたんですよ。だけど、評判が一位を取れなかった。何年頑張っても、一番売り上げを立てても、不思議と世の中の評判は抜けないんですよ。

けれど、私はスーパーサブだったおかげで色んなお座敷に出させていただいて。単体でも、「とりあえず、お前行って賑やかしてこい」と言われて、切り込み隊長で行っていました。

芸事も迷った時がありました。芸事の時間がないぐらいお座敷が詰まってるわけですよ。遅くまでお座敷に出て飲めば、次の日は当然二日酔い。グラングランする中、稽古に行ってまともにできなくて。悔しい思いをして、失敗もして、やらかして。

私と同期の華乃が、先代の市山七十郎お師匠さんに教えていただいた最後の学年で『四季の新潟』の春と、『新潟小唄』のふたつのお稽古を付けていただきました。市山の師匠に見ていただけるのが月に8回。その他に、長唄、鳴り物、お茶とお笛……。新潟の民謡ですとか、お座敷でする季節物のお稽古も入りますから、毎日何かしらお稽古しています。

花柳界を紡ぐかっこいい人達

いつ頃から独立を考えていましたか?

意識したのは5年目ですね。春花さんと、二枚看板と言われてる最中です。単純なので、「独立って響きがかっこいい」と思って。25歳で振袖を卒業して引き着物になったんですけれども、その辺からまた急におませさんになってきまして。「ずっと柳都振興のお世話になるのもいいけれど、自分にしかできない、違う事はないだろうか」と考えて。今の棚橋支配人に相談しましたら、誰もまだした事がないのでえらく心配されました。

柳都振興は毎年春に経営陣と社員との面談があるんですね。10年目になる時に、「実は完全歩合給の働き方でやってみたいんですけど」って話したら、「本当に言いたいのはそれじゃないだろ!」って言われて。「はい、独立してみたいなんて考えてますけど……」と伝えました。

私は会社の稼ぎ頭という自覚があったので、「止められるか、もしくはできない?私の稼ぎぐらいじゃ独立ができない?怒られるかな……?」と頭の中でぐるぐるしていたら、「良く言った、言い出すならお前だと思ってた!」と。

それからは「クビかな?」って思うぐらいトントンとスケジュールや費用を出してくれて話が進んでいくんですよ。もともと花柳界発展のためにできた会社なので、「自立をするなら当然応援する。絶対に失敗させられない。お前だけはコケさせる訳にいかない」と。

着物もすごくお金がかかるから心配していたら、「貸すから無理して大借金するな。お金があるなら一生着られる着物を買っておきなさい」とも言われました。「何て懐の広い会社だろう」ってびっくりしました。

後輩の育成のために、どんな事に取り組んでいますか?

「いろんなチャンスがあるんだよ」っていう事をできる限り広げておきたいと思っています。私は昔から新しい事のお話がすごく来やすいんです。新潟日報さんの連載ですとか、WEBのコマーシャル、ラジオのMC……。

「何で私に来るんだろう」って考えた時に、人がしていない事すると、前に出ると誰も風を除けてくれないので苦しいんですよ。「でも私がそういう役回りだから来るのかな」と、途中から思い直しまして、とことん出てみようかと。後輩には私が失敗してる所を一番見て欲しいんですよね。うまくいった事しか皆さんあんまり言わないから、「こういう事をしたら失敗するよ」って。

筋は、「芸妓さん、新潟の花柳界がもっと発展してほしい」で、この筋からどう枝葉を広げたらヒットするか、わかんないじゃないですか。私が色んな事をやってみれば、「やった姐さんもいたよ。あの子はダメだったけど、あなたならいけるんじゃない?」って時代が変わればなるかもしれない。何かしら取りあえず手垢を残していく。こういう風にブルドーザー張りに行くのは、私の役目なのかと(笑)

色々なお話を聞いていて、あおいさんにキーワードを付けるとするならば、「かっこいい」ですね。

物事を選択するときも、かっこいいか、かっこ悪いか、ですね。かっこよくなりたくって、かっこ付けたくて独立したんですけど、後輩にはかっこ悪い所しか見せられてないですけど。

私の代で、一人の代で何かできる事ってほとんどないと思うんです。私が独立できたのも、今までの柳都振興のお姐さん方がきちんと道を作ってきてくれたからで、16、17年かけて柳都振興が育ってきた所に、私みたいなのが入ってきて「独立」ってワードが見えたんだと思うんです。ずっと道を作って来てくれた人がいた訳ですよね。私はそこにたまたま入っただけで、そういう地ならしがないと、どう頑張っていいかわからなかったかもしれないです。

お姐さんたちからは、今でもありがたい事に、ちゃんと叱っていただいています。毎日が試行錯誤ですけれども、色んなお姐さん方の後ろを見て、「かっこいいな、この方」と憧れを持って追いかけるわけですよ。「ちょっとでも盗めないかな」と思って、お姐さん方を見ていますね。

成功も、失敗も、同じ道の上

今後の目標は何でしょう?

でっかい夢を言うと、全国花柳界組合とか作れたらいいですよね。紅緑会(こうろくかい)という全国の芸妓さんが腕を競い合う舞台があったんです。それが途絶えてしまったんですが、小さい規模では交流があるんですよ。新潟の芸妓置屋組合副組合長のあやめさんが中心となって、よその花柳界と進めてる案件もあるんですね。

花柳界ってその土地に生きているものなので個性の塊。地元の濃いエキスが凝縮されているんですね。京都らしさ、新橋らしさ、新潟らしさ……、そういう地方の花柳界こそ今大事にしないと「地方の“らしさ”がなくならないかな」って。

何であの建物があるの?どうしてこれが始まったの?どこの家が親戚関係なの?って、その土地の歴史を生き字引みたいに知ってるのが花柳界。働いてると当然持ってなきゃいけない知識として、お姐さんたちから教えてもらえるんですよね。

でも、新潟は今芸妓さんが23人ですが、他の花柳界も少なくて、それぞれで頑張ってもできる事って限界がありまして……。いっそのこと全国の花柳界組合があると、「何か大きい事、イベントやりたいよね」ってなっても国とかに話ができるから、そういう大きい事になると楽しそうだなって。

新潟での芸妓さんの役割は?

芸妓さん自体の使われ方が変化していまして。従来からあるお座敷というシークレットの中でのプライベートや企業間でのご接待のお手伝いがメインのお仕事だった所から、ある意味イベントガール的な……、「ゆるキャラ」とまではいきませんけれども、マスコット的な役割を担っていかなければ、生き残って行くのは難しいのではないかなと思っています。

今は、「あの推しメンに会いに行こう!」じゃないですか。「あの子がいる花柳界ってどんなところだろう?」っていう所からお座敷が増えていく。この裾野が広がっていく事が大事かなと思っております。

先日、古町ルフルのオープニングイベントの最終日に総合司会をさせていただいたんですけど、これも昔からお姐さん方が商店街と作ってきた絆です。「あおいや~」って商店街のボスから連絡が来て、「総合司会してみねえか。お前ならできるて!でーじょうぶだがね」「兄様、正直に言ってみた。金が無いだろう」「わかるけ~」って(笑)

経緯がやっぱりいいなと思うんです。お金が無いのはしょうがない。でも、「いいねっか、芸妓さんがいるんだから、オラが町の芸妓だから、芸妓さんに頼んでみようよ」って。そういう選択肢があったのは、私がオモテでチョロチョロしてたからかなって思います。 今まではなかったけど、必要であるものとして、何かいいものが拾いそびれないように。色んなところに種を蒔いて行きたいかな。そういう風にして、「湊町新潟と言えば」って出てくるものの一つになりたい。

最後に20代30代へのメッセージを。

“地雷”は踏み抜いても生きていけるんですよ。失敗しても四面楚歌になっても、何とかなるんで、取りあえずやってみて欲しい。怖がらずにチャレンジをして欲しいです。

私も本当に、何回も四面楚歌になって「何なのあの子!」って言われてものすごい大事故がたくさんあるんですけど、「間違えた!」と思ったら、きちんと「ごめんなさい!」って言う。でも、どうにもならない事ってほとんどないんです。失敗した時に怖くなって、迷惑をかけた人の目を見れなくなるだけで。下を向くから周りの人がみんな笑ってる風に思っちゃうんですよね。

でも、失敗した時こそ勇気を出して、顔を上げて、迷惑をかけた人に向き合って、「ごめんなさい」って言えば次も必ず面倒を見てもらえるし、絶対にフォローしてくれるが人いますから。

その人が踏み出したから見えてくるものもあるかもしれないし。その人が失敗したからこそわかる道もあるかもしれない。失敗もそれはただの“そういう道”なだけ。

エジソンみたいな事言いましたけど。犯罪以外はチャレンジをしていただき、いつでも堂々と失敗しましょう。怖いと思ってもチラッと見てみると、声は怒ったふりしてるけど顔は呆れて笑ってるみたいな時があるんですよね。

インタビュー:2022年4月

Information

「置屋 津乃」古町芸妓あおいが、柳都振興(株)で10年の芸歴を重ねた後に独立し立ち上げた置屋。お座敷で芸を披露するほか、近年はイベントの司会やラジオのパーソナリティなど、「新潟花柳界の発展」を目指して新しい分野にも挑戦している。BSNラジオ「古町芸妓のあおいごと」毎週土曜日7:15~7:45放送中。

「柳都振興株式会社」江戸時代から続く古町芸妓の、衰退をきっかけに地元有力企業が出資し、全国初の株式会社組織・芸妓養成および派遣会社として1987年設立。現在は10名の芸妓が在籍。日本舞踊・市山流の美しい芸や新潟のお座敷唄で宴席に花を添える。

〒951-8063 新潟市中央区古町通九番町1462 
TEL: 025-222-7080

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