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column 14

株式会社フレーム2021.11.15

あなたのために、
デザイナーができること。

どこかで一度は目にしたことのある、著名なデザインの数々を世に送り出してきた株式会社フレーム。比較的若手の企業ながら、新潟のデザイン業界を果敢にリードする同社のポリシーを、創業者の石川代表に伺った。「デザインなんて、自分には縁遠い」と思った人にこそ、ご一読いただきたい。

石川 竜太(いしかわ りゅうた)1976年生まれ。新潟県三条市出身。麒麟山酒造パッケージデザインや、キリンビバレッジ「生茶」、LOTTE「紗々」パッケージデザイン、ダイニチ工業ロゴデザインなど、県内外企業の著名ブランドを多数手がける。近年は早朝のランニングに凝っているほか、アウトドアが趣味。より正確には、大自然に抱かれながら味わうお酒が大好き。

枠組み(フレーム)全体をデザインする

まずは、御社の沿革と事業概要を教えてください。

2006年に独立し、個人事務所としてフレームを開業。専門であるグラフィックデザインを中心に、企業のCI・VIデザインやブランディングといった、いわゆる「デザインに至るその前段階」からお手伝いをする類の仕事を請け負っています。現在の規模は、スタッフ数にして11名ほどです。

「フレーム」という社名の由来は?

当時は、独立した若手デザイナーがいただく仕事といえば、一般的にチラシとか、雑誌・新聞広告とか、単一の画面上で完結するものが大半。けれども当社はそこに留まらず、ご依頼主さんのビジネスにおける「枠組み(フレーム)」全体をデザインしていくような仕事がしたい。そういう意図で命名しました。

先方の要求をただアウトプットするだけの存在ではなく、クリエイティブの専門家として、考えうる最良の策をデザインに落とし込む。そうすることで、先方の想像を超える価値を提案する。そんなチャレンジを常に試みてきたつもりです。

当初から、企業として目指すべき姿は明確に定まっていたのですね。では、ご自身の「デザイナーとしての方向性」については?

身も蓋もない話に聞こえるかもしれませんが、僕は自分自身に対して「デザインはしなくていい」とさえ思っているんです。ここで言うデザインとは、つまりアウトプット。デザインにおける実作業の工程に、僕が関わることは必ずしもベストではない、という意味ですね。

この案件を成功させるにあたり、どういう「ビジュアル」を作ろうか、というのはあくまで考慮すべき要素のひとつに過ぎません。どういう「考え」が、あるいはどういう「仕組み」が、はたまたどういう「スタッフ」が必要か、といったプランをすみずみまで練る行為こそ、すなわちデザインだと考えているので。

常に「結果が伴うデザイン」を追い求める石川さん。独立の翌年新潟アートディレクターズクラブ(以下NADC)が初開催した「NADC AWARDS 2007」では、栄えある第一回グランプリを受賞しています。

何より大きかったのは、当時のお客さまである麒麟山酒造さんが、この受賞をとても喜んでくださったことだと思います。僕がベストだと思う提案をし、お客さまがそれを採用し、セールスされていた商品。そこには「品質」や「売上」といった評価軸があるわけですが、加えて「デザイン」という、今までにないベクトルの良し悪しが可視化された。

東京で活躍する一流のデザイナー陣を審査員に招き、今年はこれがグランプリだと示すことで「これは良いデザインなんだ」と客観的に分かるようになりますよね。すると、僕が自分で説明するよりずっと説得力が生まれるし、世間の方々も広く一定の評価をくださる。

それらは巡り巡って、最終的にはお客さまの利益になるんじゃないかと思うし、我々としても、その評価がまた別の仕事につながったりしますので、NADCをはじめ、こうした取り組みは続けていくべきことなんだなぁと考えるようになりました。

独立以前からのクライアントである麒麟山酒造。2021年、長年愛された伝統のラベルデザインを刷新した。

「お前 ここ辞めてどうするの?」

石川さんのルーツについてお聞きします。デザインの世界へ足を踏み入れたきっかけは?

実は僕、グラフィックデザイナーっていう職業のこと、高校を卒業する頃まで知らなかったんです。普通科の高校に通っていたんですが、たまたま美術の授業を選択して、たまたま描いた絵が地元のコンクールで賞をもらって。それがきっかけで、美術の先生に教えてもらった学校に進学して。

卒業後は一度、地元の方で就職したんですが、やっぱり本格的にデザインの仕事をしてみたくなって、新潟市のとあるプロダクションで働かせてもらうことに。そちらの関谷社長は、僕の師匠にあたる方で、先ほど話に挙がったNADCの立ち上げメンバーでもありますね。とにかくハイレベルな職場で、本当にいろんな経験をさせてもらいました。

当時はあまりに忙しくて、もう限界だと思う日もしばしば。あるとき師匠に「ちょっと僕もう無理です、辞めさせてください」と打診したこともありました。でも、それまで何だかんだ言いながら、くじけず続けてきた仕事ですから、そこには間違いなく喜びもあって。

師匠といくつか言葉を交わす中で、不意に頭をもたげた「ここを辞めたとして、その後、自分はどうしたいんだろう?」という自問が、ともすると、デザイナーとして独立を志すきっかけだったかもしれません。そうと気づいたら急に、あれ、まだまだここで勉強しなきゃいけないこと、いっぱいあるなと思って、師匠には「すみません、辞めるの止めます」と(笑)。

過酷を極めた修行時代に、自己を見つめ直す転機があったのですね。

それまでは、同じ業務でもどこか「やらされ仕事」という意識があったというか。ただただ辛いなぁとしか思っていませんでした。でも「自分は今、誰に、何を届けるために働いているのかな」って部分を、自身の価値として見出せるようになった瞬間、初めて僕はデザイナーになれたのかなって思うんです。

ちなみに、ご出身は三条市とのこと。ものづくりの町で育まれたDNAのようなものは?

新潟の燕三条がものづくりの町で、優れた製品で溢れているというイメージは、僕が生まれ育った当時、まだ確立していませんでした。ですので、それが今の僕の仕事に対して、こう、下地のような役割を果たしているかと問われれば、申し訳ないですが、そうでもないかなと。

ただ、父親が営むスクリーン印刷の工場には、幼い頃から出入りしていて。そこでは「働いて対価を得る」というプロセスを、他でもない自分の親が実践していました。それを日常的に見ていたこともあってか、いざ自分がフレームを立ち上げた際は「領域こそ違えど、父親がやっていたことを自分もやるだけだ」という気持ちで、自然に受け入れることができた気がします。

なるほど。独立に至るまでの遍歴を垣間見た気がします。ところで石川さんには、もうひとつの顔として「ロゴの人」というイメージがありますが。

それは多分、独立したばかりの頃に書いていたブログの影響かと。毎日ひとつ、オリジナルのロゴを作ってアップすると決めていたんです。余裕があるときに作り溜めるのは禁止にして、必ず毎日、この作業に時間を割くようにしていたので、かなり大変でしたね……。

なぜ、そのような活動を?

社名が決まり、まず何をすべきか考える中で、当時の我々にも手が出せて、かつご依頼主さんの根幹にもアプローチできる仕事といえば「ロゴデザイン」だなと思いまして。じゃあ、どうしたらロゴの依頼が来るだろう、そうだ、毎日ロゴを作ろう! みたいな経緯で始まりました。

僕らデザイナーというのは、どうしても「あの仕事をやった人」とか「あのパッケージを作った人」っていう文脈で認識されます。それを利用して、あの人は「毎日ロゴを作ってる人」なんだっていうポジションを確立してみようと考えたんです。当時は全国を見回しても、他に似たことをやっている方もいなかったものですから。

実際に制作した1年分のロゴと、制作ノウハウを収録した著書「毎日ロゴ」

これを続ければ、僕のことを全然知らない人にも「この人、ロゴデザインが得意なのかも」「スピード感も期待できるかも」みたいな印象を抱いてもらえるんじゃないか。そんな仮説を立てて、一年ほど継続してみたところ、事実、徐々にロゴの仕事が来るようになりまして。その実績を見た方から、また別の依頼が……という好循環を作ることができたなと感じています。

まずは、フレームという企業の「仕事を呼び込む仕掛け」から設計したと。まさしく、石川さんが目指す「枠組みのデザイン」そのものですね。

デザインの現場にメリハリを

県内外企業のデザインを多数手がけ、今やベテランの域に達しつつある石川さん。新潟の若手デザイナーにも、石川さんの仕事に影響を受けたという人は多い気がします。

うーん、そうですかね? あまり実感はないですが……。というのも僕、デザインを作る能力に関しては、人よりずっと劣ると思っているんです。当然、キャリアの中で身につけた技術はあるにしても、そうではなく。いわゆる生来のセンスみたいなものは、同業者の中でも決して高くないなって。

技術とセンスの両者が良い形で融合したとき、みんなが喜ぶデザインって生まれてくると思うんですけど、それを僕よりも上手に生み出せるデザイナーさんは、新潟県をぐるっと見回しただけでも結構いらっしゃいます。おそらく僕は、そこで戦っても勝てないんですよ。

そうした方々に対して、僕は「そういう考え方があったか」とか「そういうやり方で来るのね」みたいなアプローチで対抗できるよう、常に新しい切り口を探していないと、自分のフィールドが守れません。そういう意味では、僕もしっかり周りの影響を受けていますよ。それこそ、自社の若手にも「こういうデザインだったら僕よりこの子の方が上手いな」って思いますもん。

御社では多くの場合、案件の担当デザイナーを社内コンペで選定するそうですが。

はい。それぞれのアイデアを見比べて、どの案をどういう風にプレゼンしたらいいか、みんなで考えるようにしています。社長だからといって、僕の意見が重視されるようなことは、特にありません(笑)。もちろん、方向性として根本的に誤りがあれば「待った」をかけることもありますが、基本的には完全に民主主義ですね。

すべてのスタッフは、一人ひとり独自の感性や人生観を持ち、男性と女性、若者とベテラン、各々に異なる着眼点があります。それらを良い形ですくい上げ、バラエティに富んだ提案をお客さまにお届けできるのがベストだよね、というところでこの制度は成り立っています(やたらと人的コストはかかりますが)。

あとは、実力で選ばれたという成功体験を重ねる中で、スタッフに自分の仕事を誇ってほしいというのも狙いのひとつです。前職に勤めていた頃の僕は、師匠が有名すぎて「関谷さんのところの石川くんが」「関谷さんの下で石川くんが」と言われ続けてきたんですけど、もしも「石川がやったデザインが」と、ありのままを認めてもらえる機会があったら、きっと嬉しかっただろうなと思って。

モチベーション維持の観点で、重要な意図があるのですね。ちなみに、多忙なデザイン業界にあって、御社は「ノー残業デー」をいち早く導入したことでも知られています。

そうですね、同じく前職の教訓ゆえです。残業ばかりの職場なんて、ストレス以外の何でもないよねっていう。とはいえ、現実問題として「18時に帰るなんて無理ですよ!」という現場の声もあるわけで。じゃあ「交代で順番に帰ろうか」と、まずはシフト制でやってみたところ、今はもう、みんな帰る気マンマンですよ。当番の人、夕方にはちょっと椅子から腰が浮いてますからね(笑)。

きちんと定時で帰るためにも、オンの時間には効率よく働いてもらう。そしてオフの時間をたっぷり取ってもらう。そういうメリハリが出てくると、きっと仕事にも、プライベートにも良い結果が伴ってくるんだろうなと思います。これは是非、今後も続けていきたい施策です。

これからの世に、無くてはならない仕事へ

若手の目線に立った、働きやすい職場づくりを推し進めるのは、やはり後進育成のため?

いえ、人を育てているという感覚はあまり……。当然、質問や相談ごとには応じますし、足りてないなというポイントを見つけたら指導もしますが、僕の行動原理に「次世代のデザイナーを育てる」みたいな、何か大きな意志があるわけではないんです。強いて言うならば、デザイナーは育てずとも「市場」は育たなきゃいけない、とは思っています。

仮に、若い人材がメキメキ腕を上げたとして「新潟、デザインの仕事無いな」「日本、デザインの仕事無いな」って状況に陥ってしまったら、いくら人だけ育ってもしょうがないじゃないですか。それなら僕がすべきは、日々の仕事にきちんと取り組んで、世間にその価値を証明し続けることしかないんじゃないかなと。

すると、働きやすい職場の整備も、フレームがデザイナー集団として良い仕事をし続けるための、ある種「段取り」に過ぎない、と。

まぁ……「市場を育てる」なんてのは、かなり大げさというか、ちょっと偉そうな物言いだなと思いますが、もっともっと皆さんに「デザインって良いね」「すごいよね」と感じてもらえるように頑張りたい、くらいの気持ちです。デザイナーを必要としてくださる方や、デザイナーになりたいと思ってくださる若い方には、是非とも明るい未来を示していきたいので。

それでは、御社内だけではない業界全体の未来を見据え、何か取り組んでいきたいことは?

これは僕がというより、業界の第一線で活躍されているトップランナーたちが牽引したことだと思うのですが、今「デザインが必要とされる領域」というものは、どんどん拡大の一途を辿っています。すると同時に「えっ、デザイナーってそんなことまでやるんですか」といった具合で、我々に求められる能力の幅もまた、拡がっていくわけです。

例えば、今日では決して珍しくないことですが、一昔前まで「農家さんがデザイナーとタッグを組み、商品やサービスを世に送り出す」って、考えられなかったことだと思うんですよ。それと同じで、まだまだ世の中には「僕らみたいな職種の人間には、デザインとかって関係ないですよね」と思われてる方が大勢いらっしゃる。

そうした中で、僕はそれら未知の領域をなるべくカバーできるよう、色々と勉強したり、新しいことに手を出してみたりしているのですが。これをすることで、近い将来、世の中に進出していくであろう若い才能たちに「ひと口にデザインと言えど、今はこんなに幅広いフィールドがあるんだ」と認知してもらえたらなと思うんです。

当社のスタッフもそうなんですが「私はコレができます」と心に決めている人もいれば、何となくデザイナーやっている人も当然いて。そういう人たちに対して「ああ、前に石川がやってた『こういう仕事』もデザインなんだ」「それなら俺は、こういうのができるかも」「私なら、こういう挑戦がしたいかも」っていう、気づきのようなものを促せたら。きっとその人にとって、何らかのきっかけになるかもな、と。

そうした、これからの世の中を担う若者たちへ、結びのメッセージを。

デザインというものは、有用性と魅力に溢れ、これからの社会に生きる、おそらく全ての人にとって、無くてはならない仕事になると私は思っています。先ほどの農家さんの事例から分かるように、一部の領域ではすでにそうなっていますね。あなたがいつ、いかなる場所にいようと、デザインに接する機会はきっと訪れます。その際はどうか、僕らデザイナーの可能性を信じていただきたい。

そして、あなたがもし、デザインを仕事にしてみたいと思うタイプならば、どんどん足を踏み入れていってほしいです。若い方の意欲や感性みたいなものを、存分に活かせる場所だと思います。僕らは、それら熱量の受け皿となるような市場を育てながら、ここで待っていますので。

インタビュー:2021年9月

Information

株式会社フレームグラフィックデザイン、商品・ブランド開発、CI・VI計画など、デザイン業務及びブランディング業務全般を担うプロダクション。単なる表現の機微には留まらない包括的な提案力をもって、クライアントの想像を超えるような価値創出に挑み続ける。

〒951-8101 新潟県新潟市中央区西船見町5932-499
TEL:025-211-3900
URL:http://frame-d.jp/

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