株式会社新潟ヒロタカデザイン事務所2025.02.17
安心と豊かさのバトンを、
次の世代へ。
新潟ヒロタカデザイン事務所の土田社長は、「100年後の新潟を豊かにしたい」という強い思いを胸に、芸術性と機能美が調和した「本物のデザイン」を追求し続けている。自身のキャリアを「敷かれたレールに乗った」と振り返る土田社長は、自らの使命をどのように見出したのか。安心と心地よさを大切にした建築が、将来の新潟を価値ある場所にすると考える、独自のビジョンについて話していただいた。
土田 隆太郎(つちだ りゅうたろう)新潟市出身。2001年新潟ヒロタカデザイン事務所に入社、2013年に代表取締役社長に就任。建築業を通して「100年後の新潟を豊かにする」ことに情熱を注ぐ。芸術・文化を愛する父の影響で、幼少期から芸術作品やアートの鑑賞をして過ごす。こだわると突き詰める性格で、趣味は洗車と鑑賞・観劇。時間ができたら、劇団四季のミュージカルを見に行きたい。
芸術性を宿すデザインは、時代を超える。
新潟ヒロタカデザイン事務所の沿革をお願いします。
創業者は私の父になりますが、元々は新潟県三条市で江戸時代から続く、卸(おろし)酒店を営んでおりました。もう何代目かもわからないくらい長く、本当に細々と続いている酒屋さんだったんです。そこを父が継いで、最終的には三条の中でもかなり大きい規模にまで拡大しました。
私の父は芸術や文化に対して、ただならぬ知識と興味を持っていて、流行のものも大好きという人だったようです。卸酒店なので、お客様から「売れ筋のお酒」の他に「どういうお店が流行っているか」といったことも尋ねられ、その都度「モダンな居酒屋が流行ってるんだよ」とか、「こんな最先端の居酒屋があるんだよ」とか、そういう情報提供をしていたそうです。すると、「じゃあお店のデザインを手伝ってよ」ってお話しをいただいて、店舗づくりのお手伝いをするようになりました。その結果、すごく奇抜で独創的なお店づくりを手掛けたものですから、人目を引いて大繁盛だったそうです。
「土田さんに手伝ってもらえば、いいお店ができる」という噂は、お客様の間で瞬く間に広がり、次々と依頼が来るものですから、父は「こんなにもお願いされるなら、自分でちゃんとした建築会社を作ろう」と考え、新潟ヒロタカデザイン事務所を立ち上げました。
社名の“ヒロタカ”は、「お父様の名前ですか?」ってよく聞かれるんですけど、人の名前じゃないんです。『広い視野と高い視座』という思いを込めて、父が付けました。これが弊社の創業、56年前の話です。
先代は芸術や文化、流行の知識からアイデアを出して、お店作りに活かされたのですね。
父は小さい頃から芸術や文化に触れることにものすごく貪欲で、探求心が強くて、興味を持った人だったようです。
これは父から聞いた話ですけど、中学生の時に親の財布からお金をくすねて、夜行列車に乗って東京にシャンソンショーを観に行ったそうです。当時は今ほど交通の便も発達していなかったはずなのに、そうまでして「本物に触れたい」という思いが強かったみたいです。その興味は音楽や芸術だけじゃなくて、ふとした時に“杜甫の漢詩”をさらっと諳(そら)んじたりもしたので、子どもながらにビックリしたのを覚えています。今思い返してみると、ちょっと特殊な人だったのかもしれません(笑)。
「本物を探求する強い思い」は、現在の会社にも受け継がれているのでしょうか。
私たちが創業から変わらず追い求めているのは「本物のデザイン」です。本物のデザインとは、『時の移ろい、流行の変遷にも朽ちず、歴史にろ過されて輝きを増すもの』として提唱しています。かみ砕いた言い方だと、飽きが来なくて、愛され続けて愛着が湧くような、そういったデザインのことですね。
この世にデザインされずに作られたものは一つもなくて、全てがデザインされているんですよ。でも、それらは毎日のように飽きられて捨てられて、最終的に残るものなんて、ほんのひと握りなんです。じゃあどんなデザインが残されるんだろうって考えると、例えば建築だったら、安藤忠雄、坂茂、吉村順三、海外だったらアントニオ・ガウディ、フランク・ロイド・ライト…彼らの手による作品って、今でも愛されて残されていますよね。その共通点は「芸術性があるかどうか」だと思うんです。
デザインを突き詰めると「機能美」を求める形になるんですけど、そこに「芸術性」が加わることによって、ひとつのモノとして洗練され、高尚なものに昇華すると思うんです。つまり、研ぎ澄まされた機能美の中に芸術性を宿したものが、100年、200年、それこそ「これは壊さないで大切に残していこう」って、愛され続けるものになるんだと思います。

「本物のデザイン」を提供する建築事務所。
ヒロタカデザイン事務所の事業内容について、お願いします。
事業内容としては、商業施設・医療施設・オフィス・住宅の設計やデザイン、それから耐震・制震に強いリフォーム事業等を行っています。
事業は主に新潟で展開されていますが、特別な思い入れがあるのでしょうか。
私は新潟が大好きで郷土愛も強いので、これからの新潟を盛り上げていきたいと思っているんです。でも、今の新潟って人口流出が多い県としてワーストスリーに入っているくらいで、残念なことに、若者がどんどん県外に流出して人材不足が起きてるんですよ。もう、すごく悲しいことですけど、それが何年も続いている。
だから、この現状にものすごく危機感を持っています。私の子どもたちが働く年頃になった時、新潟はどういった姿になっているんだろう、ちゃんと子どもたちも「新潟で働きたい」と思うような場所になってるのかな、って。
人口の流出を止めるためにはまず、東京や人口が多いところで働きたいっていう憧れというか、羨望の流れを止めなきゃいけない。じゃあどうしたらいいのかなと考えた時、人も食べ物も良い新潟に足りないものの一つに「会社のオフィス環境」があるな、と思いました。当社は、オフィス設計のノウハウを持っており、エンゲージメントやモチベーション、コミュニケーションの向上までの仕掛けづくりも行っています。企業様さえ、やる気になれば整えられると思っています。
確かに、オフィス環境は学生が重視するポイントの一つだと思います。
学生さんはそこで働いている人が、生き生きとしているのかってことに、ものすごく着目してると思うんですよ。 でも、生き生きと働く人の背景が昭和チックなデザインのオフィスじゃ、現実味がないんですよね。オフィス環境は社員達を引き立てる背景として、クリエイティブを生み出す場として、今後大切な要素になっていくと思います。オフィス環境で全てが解決するわけではないですが、それが新潟の人口流出の歯止めの一手になるんじゃないかなと思っています。
昨今のコロナ禍による業務の変化とか、変えざるを得なかったものはありましたか?
弊社でも、やっぱりコロナ禍は一つのターニングポイントになりました。当初、「夏までに落ち着いてくれ」と願っていましたが、6月、7月の段階でも収まる気配がないので、これは新しいことにチャレンジしていかなきゃいけないんだ、と実感しました。

これまで私たちは商業施設、医療施設での売り上げが大部分だったんですが、創業から細々とさせていただいていた住宅事業に力を入れていくことにしました。今まで手掛けた住宅は、商業施設や医療施設で関わったお客様から、「家を建てるから作ってほしい」と依頼を受ける事がほとんどだったんです。でもこれからは、きちんとした形で受注していくために、もっとPRしていかなきゃいけないと考えました。
まずホームページをリニューアルして、ヒロタカデザイン事務所はどんな目的で、どんな性能の家を作っているのかを掲載しました。その後、住宅の性能・デザイン・会社の思いなどが一通り分かるようなガイドブックを作ったんです。でも、それだけじゃお客様は来ないのも分かっていましたので、更に私たちの思いを反映させたモデルハウスを作りました。
このようにして、商業施設、医療施設だけではなく、住宅も事業の一つの柱にするために、一つひとつの土台を組み上げてきました。
ヒロタカデザイン事務所が手掛ける住宅の特徴を教えてください。
社名に「デザイン」ってあるので、「デザインを強みにしている会社ですよね」と言われることがありますが、うちは住宅において一番大切にしているのはデザインじゃなくて、「構造」なんです。次に「快適性」、「デザイン」の順ですね。
構造がなぜ大切なのかというと、例えば住宅の場合、日本では40~50年経ったら、壊して新しいものを作るという、スクラップアンドビルドが繰り返されてきています。長い間住宅ローンを支払って、愛着を持って住み続けてきた家を、どうしてそんな簡単に壊すのかというと、耐震性に不安を感じたり、子どもたちに負の遺産を残すんじゃないかという心配からです。本来は壊したくないんでしょうけど、壊さざるを得ないっていうのが現状です。でも、そんな中で私たちが本当に作りたいものは、“100年先も残るような住宅”なんです。

特徴といえるのは、「耐震等級3」の住宅、という点です。特に耐震性においては「耐震制震リフォームセンター」というものを立ち上げ、地震に強い住宅にリフォームしましょう、という形でも取り組んでいます。
日本は地震大国と言われるとおり、40年、50年ってスパンを考えると、震度6~6強、7クラスの大きな地震って何回か経験するんですよ。耐震等級1の住宅は、大きな地震に1回は耐えられるけど、ダメージを受けて疲弊しちゃうから2回目が来るとちょっと心配です。でも、揺れのダメージを軽減してくれる「制震ダンパー」というものを、家を建ててからでも早い段階に取り付けていただくと、家が長持ちします。
耐震強度のランクには、“震度7が3回来ても大丈夫”といった実験データもあると思います。ただ、日本では耐震等級を3までしか設定していません。私たちがつくる住宅は「耐震等級3」に、地震による建物の揺れを軽減するダンパーを付けるから、はるかにレベルが高いんです。
このように構造がしっかりした住宅は、安心して子どもたちに残すことができますし、100年先に残るという点に関しても、全く過言じゃないと自負しています。
100年という期間にこだわる理由は?
私たちは建築事務所なのでいろんな建物を作ってますが、全ての事業は新潟の未来の為に行っていると考えています。建物を使うのは今だけど、でもそれって最終的に未来に残っていくものじゃないですか。だから、今だけ良ければいいってことじゃないんですよね。「本物のデザイン」の建物を提供することによって、作って50年後、100年後、もっと良ければ200年後、そこまで残っていたら、その建物には資産価値が生まれ、文化になって、地域に貢献しているかもしれない。
だから、私たちの最終目標としては、商業施設であろうが医療施設だろうが住宅だろうが、最終的に「100年後の新潟を豊かにする」建物を作ることを目指しているんです。
100年後の新潟を豊かにするために。
「100年後の新潟を豊かにする」構想について、詳しくお願いします。
欧米での話ですけれども、親世帯がしっかりした建物を作ると、その子ども世帯は家を作る必要がないから別荘を作ったりできるんです。さらに孫の世帯は、家も別荘もあるからヨットを買うとか、選択肢が増えるんですよね。そのような世帯が増えれば経済が回って、周辺地域が潤う。そうやってどんどん豊かさが継承される、という考え方や仕組みがあるんです。
私はこのような継承を新潟でも実現させ、豊かな新潟を作っていきたいと考えています。一棟でもそんな家があれば、子どもの世帯は経済的余裕ができるから、住宅以外にお金を使えるじゃないですか。なので、私もそういった形で新潟の経済に貢献していきたいんです。
これは住宅だけじゃなくて、医療施設や、商業施設も全く同じ考えです。例えばすごくおしゃれなレストランができたら、その施設には人が集まって、更に周辺に新しいお店ができて…と、そこの地域がどんどん盛り上がっていきますよね。そうやって地域が発展して、そこを中心とした町が形成される。そんな未来を目指して、私たちは建物を作っています。
とにかく自分は、新潟が豊かになっていてほしい、もうそれだけなんです。新潟が好きだし、郷土愛も持っているんで。そのために自分がどれだけ貢献できるかっていうところから着想した考えですね。

壮大な構想を抱かれる土田社長は、どのようなお子さんでしたか?
基本的に、いわゆるドラ息子でしたね(笑)。
小さい頃から「自分はいずれこの会社を継ぐんだ」っていう意識があったので、将来の夢とかもなかったです。もう小学校に入る頃には、自分はこの道しかないって思っていましたし、違うレールに乗ったら、親は悲しい顔をするだろうなって思ってたんで。だからそのレールに乗るのが必然とすら思っていました。自動的に会社に入って、自然と社長になるもんだっていう、すごく考えの甘い、何も考えてない子どもだったと思います。
「レールに乗った」というお話しですが、独自のビジョンを持たれている社長からは想像できませんね。
目標を持った時からそういう風に変わりました。今は仕事にすごく面白みを感じてますが、東京で学生しているときは目標もなくて、何処にも向かってないので、仕事が面白そうって思ったこともなかったですね。麻雀ばっかりして学校も真面目に行ってないっていう、そんな学生でした(笑)。やっぱり会社に入って目標を持つことによって仕事が楽しくなってきたのは間違いないと思います。
情熱的に仕事をしたいと考える若い世代の方に、ご自身の経験からアドバイスをいただけますか。
自分の言葉じゃないですけど、ソフトバンクの孫正義さんの言葉で「登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる」という言葉がすごく印象に残っています。やっぱり、まず目標が大切だと思うんですよね。目標が決まらないと、1年後、2年後、3年後にどうなってなきゃいけないというのが見えてこないので。そうなるともちろん、最終目標も決めておかなきゃいけません。“夢を持つ”とも言えますね。
目標を決めて、一つひとつをクリアして進んでいくことが大切だと思います。本当、そういう日々の繰り返しによって、自分が目指す最終的なゴールに繋がっていくんじゃないかな。
目標は「お金持ちになりたい」とかでも、全然いいと思いますけど、モチベーションの維持が難しいと思うので、やっぱり「貢献」っていうところに繋げていってほしいと思います。
学生時代に影響を受けたと思うものはございますか?
父の影響なのか、僕もやっぱり芸術や文化が好きなんですよね。ミュージカルだったり、音楽だったりの鑑賞が好きなんですけど、そのきっかけが、学生時代に劇団四季の「ライオンキング」を見たことです。
それまでにも劇団員によるミュージカルやショーを見る機会があったんですけど、全然面白く感じたことがなくて。でも、劇団四季のミュージカルには、ものすごく衝撃を受けて、「こんなにすごいものだったんだ!」って、めちゃくちゃ感動したんですよ。
舞台で人が踊って歌うだけじゃなくて、背景や衣装なんて“風の当たり方”から考えられたデザインだったり…総合芸術って言うんでしょうかね。本当、芸術的な要素がすごく散りばめられていて、一気に好きになっちゃったんですよ。それからもうハシゴのように観て歩いてます。最近は行けてないんですけど、時間ができたら、いの一番に見に行きたいですね。
美意識とマインドを、未来へ繋ぐ。
100年という長いスパンで、一貫した事業を展開するのは難しいと思います。社員の方と意識を共有したり、社員教育などはされているのでしょうか?
これはもう繰り返し言い続けていくことしかないなと思っています。1回聞いただけでは忘れちゃうと思うので。だから、「今日はミッションの日」とか、「今日は理念の日」とか決めて、それを毎朝みんなで唱和しています。
それ以外でも、全員揃った時には、私が改めてミッションの大切さ、理念の大切さ、5つの精神の大切さっていうところを話しています。「お客様が今だけ満足すればいいんじゃない。あくまでも、私たちが作るのは100年先のものを作ってるんだ。お客様が5年後、10年後も満足しているのか。さらに100年後、その地域の人が満足しているのか、っていうことをきちんと理解して、設計や工事をしなきゃいけないんだよ」という風に、繰り返し伝え続けるという形ですね。
同時に、お客様だけではなく、当然うちで働いている社員にも豊かになってもらわないと、100年後の新潟は変わりません。なので、社員も切磋琢磨した中で一緒に豊かさを享受してほしいなと思っています。

お客様に提案する立場に居ると、情報収集や勉強が必要だと思います。既に社風として、そういった日々の研鑽という姿勢があるのですね。
それも機会があれば「みんなで新しい施設を見に行こう」とか、「勉強しに行ってね」とか、そういった声掛けをするようにしています。
やっぱり文化に触れる、良いものや本物を見るっていうのが、一番いいんですよ。うちの社名じゃないですけど、まず『広い視野と高い視座』で単体を見る。次は一歩引いて全体を見る。今度は角度を変えて俯瞰して見てみる。そうやって、その町がどうなっているのか、どういう状況なのかっていうのを見て設計していく。
ただ見るんじゃなくて、いろんな視点から見て勉強する、そういう訓練をしながら吸収することが大切じゃないかなと思っています。
土田社長やヒロタカデザイン事務所の、今後の目標はございますか。
コロナ禍になって、新しく住宅事業っていう分野に携わり始めました。ホームページのリニューアルやガイドブック、モデルハウスも作ったので、今後は更に住宅建築っていう柱をしっかりさせていきたいというところですね。
まだ業界の中では駆け出しで、着工棟数的にはそんなに多くありません。しかし、徐々にでも資産価値ある住宅が増えれば、豊かな地域に繋がり、それこそ本当に新潟の将来に貢献できると思っています。なので、まず着工棟数を増やして、しっかりとした土台を築くことが直近の目標になります。
美意識や価値観といったマインドは、それを体現する「良いもの」に宿り、継承されるのですね。単なるスローガンではなく、具体的なプランだと感じました。
マインドの継承といえば、芸術には美意識や価値観を未来に繋ぐ力があると思います。例えば、俵屋宗達が描いた「風神雷神図屏風」は、“空いた空間”に見える部分ですら、表現として構成された作品です。尾形光琳・乾山兄弟はその作品に触れて、ものすごく感銘を受けるんですよね。俵屋宗達の美意識に触れた二人は、その後自分たちでその流派を育て、「琳派」が生まれました。
その琳派の芸術性や精神性を継承し、自身のグラフィックデザインに取り込んだのが、日本を代表するデザイナーの田中一光さんです。 琳派で繋がった彼らは師弟関係でもなく、もはや同じ時代にも生きていません。でも、作品や文化や感性がバトンのように受け継がれているんですよね。
土田社長が受け継いだものとか、継承していると思われるものはありますか?
小さい頃、よく父に連れられて東京に行っていたんです。子供を連れて行くって言ったら、普通アミューズメント施設とかテーマパークとか、そういった所だと思うんですけど、私の場合は美術館と銀座の画廊でした。
そういった場所をひたすら巡り続けるんです。もう本当、ピクニックとか、ウォーキングみたいなもんでしたね。一日中ずっと芸術に触れ続けるっていう過ごし方でした。今思い返すと、よく黙って付いて行ったなって思います(笑)。その反面、小さい頃にいろんなものを見せてもらって、いろんな勉強になったんだなって思い返すところはありますね。
本当に足が棒になるような鑑賞の仕方でしたが、そのおかげで、本当にいろんな芸術作品を見て回ることができました。美術館とか画廊にあるものって、本物しかありませんから、僕は偽物は見てないんです。だからそういった部分では、「心眼」っていうものが養われたんじゃないかなって思います。

インタビュー:2024年12月
Information
株式会社新潟ヒロタカデザイン事務所昭和43年創業以来、商業施設・医療施設・オフィスの設計施工管理等を行う。近年は住宅事業やオフィス事業にも力を入れており、“親から子へ、子から孫へ” 受け継がれる「耐震等級3」の住宅と、企業の繁栄・働く人々の快適さを目指したオフィス空間を提供。地域社会の発展と豊かさを目指し、100年先も満足される価値あるデザインを創造し続ける。
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