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column 18

株式会社 鈴木コーヒー2022.04.15

社会、顧客、スタッフの
すべてが幸福であるために。

創業より五十幾年。単なる「飲み物」ではなく「人々の幸せな暮らしに寄与する、確かな存在」としてコーヒー・紅茶の提供を続ける株式会社 鈴木コーヒー。創業者の孫であり、3代目社長を務める佐藤代表に、同社の過去と信念、ミッション、そしてコーヒーに捧ぐ思いの丈を伺った。

佐藤 俊輔(さとう しゅんすけ)1980年生まれ。新潟市出身。大学卒業後、音楽の道を志して留学するが挫折。帰国後UCC上島珈琲(株)に入社し、営業マンとして頭角を表す。東京ディズニーリゾートを運営する(株)オリエンタルランド担当営業として尽力した後、家業の株式会社 鈴木コーヒーへ入社。

叩き上げの焙煎士集団

まず、御社の事業概要をお聞かせください。

株式会社 鈴木コーヒーは1963年に創業しました。カフェ・喫茶店・レストラン・ホテルなどに向けて、コーヒー・紅茶・その他食品材料・機器類等を販売する会社です。また、近年ではそうした卸に加えて直営店事業も展開。新潟市内ではピアBandaiと新潟伊勢丹に、県内では長岡、フランチャイズの形で上越に店舗がございます。

B to Cビジネスに着手した理由としては、何よりまず「文化の創造」に寄与したかったというのが一点。ただ嗜好品の一種として消費されるだけでなく、新しいコーヒーの在り方や、これまでにない親しまれ方を提案していくのが、ロースター(焙煎士)としての使命だろうと。

あとは、コロナ禍の影響も含め、飲食業界というのはやはり浮き沈みの激しい世界ですから。そうした中でも先へ進み続けられるよう、自分たちの手でマーケットを開拓しなければならなかったというのも、理由のひとつです。

ちなみに、これまで幾度となく聞かれてきたことかと存じますが、なぜ御社は「佐藤」ではなく「鈴木」コーヒーなのでしょうか?

私、佐藤ですもんね。当社の歴史の話になりますが、終戦とともに、コーヒーの文化が日本へと流入した1945年頃。当時、中華食材の卸問屋に勤めていた私の祖父が「これからは喫茶店が流行る」と見て、新たにコーヒー部門の立ち上げを推し進めたそうです。

その際、コーヒーの何たるかについて教えを請うたのが、東京の「鈴木コーヒー」という会社だったらしく。その縁あって、祖父が元いた会社から独立する際に、鈴木コーヒーの(精神的な)新潟支店として、屋号を拝借した……というのが命名の経緯だそうです。

もっとも、東京本店と実際の資本関係があったわけではなく、これまで何度も「佐藤コーヒー」に変えようかって話は出ました。ただ、もうすっかり地元の方々に今の名前が定着しているし、今さら変える必要もないだろうと。こうして話のネタにもなるし。そういうことみたいです。

なるほど。かつて創業者がコーヒーの道を学んだ場所が「鈴木コーヒー」だったのですね。

ちなみに、これは余談ですが、ちょうど私が生まれた頃、当社は企業ジャックの憂き目にあっていて。詳しく話すとそれだけでインタビューが終わるので詳細は割愛しますが、一部スタッフが結託して立ち上げた別会社に、人員も得意先も、信用もすべて盗られてしまったんです。

一時はほとんど倒産状態にまで追い込まれたそうですが、それでも泣き寝入りは駄目だと奮起したのが、現会長である私の父。祖父に代わってイチから会社を立て直し、借金を返し、五年かけて経営を軌道に乗せ直し……。その一方で、離反したスタッフらの会社は潰れてしまったと聞きます。

このことから、当社には古くから「商売は戦争である」の精神が伝えられておりまして。おそらく、これから話す私たちの考え方や、企業文化といったものに深く根ざしている。そういうわけで、本題からは少し逸れますが、最初にこのお話をさせていただいた次第です。

雪国、ただ独りの道行き

佐藤社長が幼少の頃は、家業のことをどう思っていましたか?

小さい頃、コーヒーをひと口飲んだとき「何だこの不味いものは」と衝撃を受けました(笑)。けれど、不思議と当時から香りは好きで。大人になるにつれて、ああ、コーヒーのあるひと時って素晴らしいなと、自然に思うようになったかな。(ブラックコーヒーの苦味だけは今も苦手で、ミルクを必ず入れますが)

大学卒業後は、同業種大手のUCC上島珈琲に就職。その時点で、ゆくゆくは家業を継ぐ覚悟が?

覚悟と呼べるほどのものは当初、なかったかもしれません。実際、UCCに落ち着くまでは国内外をフラフラしていましたし、とりあえずサラリーマンの経験をしておく上で、実家もまぁコーヒー屋さんだし、同じような業界だといろいろ都合がいいだろう、くらいのものでした。

しかし、三年の東京生活を経て、営業という仕事の面白さに目覚めてしまって。ものを売り、ビジネスを拡げることへの欲求というのが、みるみる大きくなるのを感じたんです。であるなら、せっかくの家業という土壌、活かさない手はない。そう思い、鈴木コーヒーを継ぐ決心をしました。

ただ、いざUターンしてみると、あまりの温度差に辟易へきえきしてしまう部分がどうしてもあって……。都心特有の早いスピード感に慣れきって、私自身、天狗になっていたんでしょうね。それでつい、自分より遥かに歳上のスタッフだろうと構わず、あれこれ口出しをしていたわけです。

それは、何やら不穏な予感がするエピソードですが……

まぁ……当然のごとく総スカンを食らいました。「東京風に吹かれた3代目が、若いくせに何か言ってるぞ」みたいな。入社一年目で早くも孤立した私は、そこで初めて「営業ができる」ことと「マネジメントができる」ことは、まったく別のスキルなんだと気づかされたんです。

現状をどうにか打開すべく、根性を叩き直す意味で「イチから営業やらせてください」と方々に謝りました。それで当時、マーケットからすぽんと抜け落ちていた上越エリアを受け持って、徹底的に営業をかけたんです。今日の得意先の多くも、このときに巡り合った方々ですね。

上越といいますと、鈴木コーヒーを代表する商品「雪室珈琲」とも関連が?

まさしく。私が「雪室×コーヒー」の着想を得たのも、このことがきっかけでした。飛び込み営業中、ある喫茶店のご主人に、天然雪を使って食品を保存する雪室文化の話を聞きまして。曰く、雪室の中に食材を寝かすと、不思議と味が良くなると。その瞬間、コレだ! と。

もともと赤道直下、南国で生まれたものを、雪国古来の知恵で低温熟成させる。コーヒーでありながら、新潟ならではの特産性を謳える、初の商品になるかもしれない! そう思って、さっそく社内プレゼンしてみたんですが(当時の私の人望のなさも手伝ってか)、特に賛同は得られず……

仕方がないので、もう「やってみなはれ」の一心で雪室に通い詰め、テストを経て開発されたのが、今日の雪室珈琲です。それを車に積んで、ただ独り各地へと手売りに赴く日々。当時はもはや、行商人のような立ち振る舞いをしていましたね(笑)

(先代の頃とはまた意味合いが異なる)逆境の中で、孤軍奮闘されていたと……(笑)

それでも続けていくうち、面白い発想だと言ってくれる人が増え、納入先が増え、力を貸してくれる人が増え……やがては統一ブランド「越後雪室屋」が立ち上がるまでに至りました。今ではコーヒーのみならず、お肉、お米、お蕎麦など、さまざまな食品メーカーさんが参画しています。

これの何がすごいかって、営業力の劇的な向上ですよね。約20社の参画企業が(あくまで各々の自社商品を売るために)各地で「越後雪室屋」を宣伝するわけですが、それは同時に、雪室珈琲の宣伝にもなってくれる。もちろんその逆も然りです。

その地域ならではの魅力を旗印に、人やものが結束する。そうすることで、単独では成し得ない急成長を遂げたり、新たなブランドが成立したり……これはひとつ、これからの時代を地方が生き残る術として、重要なポイントなんだと感じています。

「モノ売り」から「トキ売り」へ

雪室珈琲の成功をきっかけに、社内でも認められるようになった佐藤社長。3代目就任時のお話をお聞かせください。

事業承継の際、現会長は「まず1億円分の失敗をしろ」と言いました。とにかくまずやってみて、そこから考えなさいっていう、そのひと言に勇気づけられたんです。もちろん同時に、ものすごいプレッシャーでもありましたけれど。

いわゆるPDCAサイクルに当てはめるなら、当社の取り組みはすべて「D(実行)」から始まるわけです。まずやってみよう。ダメならダメで、ダメになってから考えよう。私自身はもちろん、全スタッフにもこの精神は共有し、実践してもらっています。

すると「自由であるが故の責任感」が発達するといいますか、「年齢も経験も問わず、誰でも何でもやって良し」というのは、裏を返せば「経験が浅いからと言って、ただ待っている人間には仕事は来ない」ということにもなりますから。

限りなく自由で、どんなことに挑戦してもいいけれど、だからこそのシビアさがあると。

そうした背景もあって、当社では必ず、企画の初期段階から私がチームに入ることになっています。それが良いか悪いかは別として、少なくとも決裁は格段に早まりますし、責任は私に集中します。その方が、スタッフとしても自由に、存分に動きやすいのかなと。

中には当然「いや、コレは絶対無理でしょ」っていう企画もありますよ。ありますが、そういう企画こそ「絶対にやってくれ」と言うようにしています。雪室珈琲がそうであったように、いつの時代も、まず周りに「無理だ」と言われる場所からこそ、ビジネスは生まれるものですから。

同時に重視しているのは、UCC時代に叩き込まれたスピード感ですよね。まさしくASAP(可能な限り早く)のスタンス。物事は日々、どのようにして立てつけられるのか。どのようにすれば最速で進んでいくのか……そういうことを、なんとなく頭の中で理解しておくのが、今どきはすごく重要かなと。

先代による「商売は戦争である」の標語通り、節々に企業としての強かさを感じます。しかし御社の雰囲気は、至って和やかなようにも見えますね。

それは多分、コーヒーっていう商材が軸だからかなぁ。コーヒー(や紅茶)って、例えば「朝起きて気持ちを切り替えるとき」とか、「三時のおやつと共に」とか、「恋人とカフェで過ごすとき」とか……必ず、何らかポジティブなシーンに登場するものだと思いませんか?

ヤケ酒、ヤケ食いはあっても、ヤケコーヒーってないと思うんです。だから「私たちが売っているのは『=幸せな時間』なんだよ」ってことを、社員にはいつも伝えていまして。コーヒーを介して過ごす豊かなひと時。そこに生じる付加価値こそが、我々の利益だと。

すると、幸福を売る人間として最も重要なことは何か? それは、まず自分たちが幸福であること。そう思って、私が3代目社長になった際、新たに「社員第一主義」の方針を策定したんです。お客様のため、会社のために、まずご自身の幸せを追求してくださいねっていう社風を作りたくて。

そうでなければ、他人を幸せにする仕事なんか絶対にできませんから。

持続可能な社会、持続可能な自分

モノ売り(コーヒーの卸問屋)から、トキ売りへ。ロマンある転身ですね。

ただ、それはそれとして、もうひとつ。真剣に取り組まなければならないと考えているのが、SDGs。持続可能な企業活動というのを、経営の最高峰戦略のひとつに位置づけています。

と言うのも、コーヒーって農作物じゃないですか。近頃のニュースでご存知かもしれませんが、コーヒーの価格が大きく上がってしまったと。この要因のひとつとして、やはり地球温暖化による気候変動、自然災害、そして不作があることを、私たちは無視できません。

これまで当たり前に飲まれてきたコーヒーが、遠くない未来、高級嗜好品の類になってしまったら……お客様の日々の生活に、幸せなひと時を届けるというミッションが遂げられなくなってしまうかもしれない。

鈴木コーヒーの生命線を守る意味でも、サステナブルな社会形成への貢献というのは、すごく大切にしていきたいなと。それを軸に考えた商品企画ですとか、事業計画っていうものが、今アイデアとしてたくさん出てきていますので、ご期待いただければと思います。

2021年6月にリリースしたECサイト「HYAKUMANTON NIIGATA」も、その一環でしょうか?

そうですね。コロナ禍以降、ますます加速しているフードロス問題の解決に寄与すべく発足しました。出品された飲食料品の賞味期限が迫るごとに、システムが自動で割引率を上げてくれるため、廃棄が近いものほどお安く購入できるようになっています。

賞味期限という指標には本来、大幅なバッファが確保されているんですよ。もちろん保存状態によって左右はされますが、賞味期限を過ぎたからといって、たちまち食べられなくなる、ということはないんです。(“消費”期限は別です。切れたものは食べないでください、くれぐれも)

けれども、世間一般の感覚として、賞味期限が近づいたものはめっきり売れなくなり、年間数百万〜数千万トンもの食べ物が、行き場を失い廃棄されている。これは、ただただ一人ひとりの意識の問題だと思うんですね。

SDGsにおける開発目標で言うところの「つくる責任 つかう責任」ですね。

正しい知識を持って、必要以上に怖がらず、新潟の豊かな食を無駄なく味わおうよというコンセプトで、サイト名の通り「100万トン」の削減目標を掲げているんですが……進捗はまだまだこれからといったところ。ぜひとも皆さんに、ほんの少しずつ意識して、協力してもらえれば幸いです。

こういう取り組みは、誰か1人が100歩進むよりも、100人が1歩ずつ進むことの方が遥かに重要ですから。当社だけじゃなく、周りの多くを巻き込むようにして社会を変えていく。そうした、アライアンスを組むようなビジネスモデルの展開っていうのを、今後も推し進めていきたいです。

それでは最後に、次世代を担う若い読者へのメッセージを。

繰り返しになりますが、やっぱりまずは「やってみなはれ」ですよねぇ。失敗を恐れず、スピード感を持って、どんどん試行回数を増やしていくこと。「失敗」とは言いますけど、それってつまりは「成功に繋がる学びのプロセス」ですから、何もしないよりずっと良い。だからぜひ、皆さんにはドンドン行動して、ドンドン失敗していただきたい。

それから、近頃の若い方々を見ていて思うのは、他人の幸せを考えるのは得意なのに、自分の幸せを考えるのは苦手な子が多いよなと。ちなみに、ここで言う「他人の幸せ」とは、企業活動という前提がある以上は「=選ばれる商品・サービス」のことであり、誤解を恐れず言えば「=儲かる」こと。

それが「儲かるか儲からないか」を考えられるというのは、言うまでもなく大事なことなんですが、個人的にはビジネスシーンにおける判断基準って、それだけじゃない方が良いと思っていて。それが「楽しいか楽しくないか」という個人的な目線も、忘れないでいてほしいんです。

仮に、儲かるけど楽しくない仕事と、儲からないけど楽しい仕事があったとして、私は絶対に後者を選びたいですし、スタッフにも「赤字になったらなったで取り返すから、楽しい方をやれ」と言えるような経営をしたい。他人よりまず、自分が幸せになるってそういうことだと思うので。私の個人的な信条ですけれど、よければ、頭の片隅に置いておいてもらえれば。

インタビュー:2022年2月

Information

株式会社 鈴木コーヒーコーヒー・紅茶の加工販売及び、食品材料、機器類の販売を手がける。時代の変化や熾烈な競争に屈せず、常に新しい価値の創造を続けてきた。コーヒーという商材を通じ、日々の暮らしに豊かなワンシーンを提供すると共に、食文化や社会問題へのアプローチも試みている。

〒950-0072 新潟県新潟市中央区竜が島1−4−4
TEL:025-249-7400
URL:https://suzukicoffee.co.jp/

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