株式会社リトモ2022.02.15
街宿(まちやど)を巡る
新しい「旅」のプロデュース。
開湯300年の歴史を持つ「新潟の奥座敷」岩室温泉。弥彦・多宝・角田の山々と越後平野に抱かれた湯の街に、新たな時代の風を吹き込んでいる料理人がひとり。古民家レストラン「灯りの食邸 KOKAJIYA」のオーナーシェフを務める、株式会社リトモ 熊倉代表にお話を伺った。
熊倉 誠之助(くまくら せいのすけ)1979年生まれ。新潟県新潟市出身。海洋学者を志し、沖縄県の琉球大学に学ぶが、在学中に料理の道に目覚める。卒業後は那覇市にてカフェバーの開業を経験した後、帰郷して「灯りの食邸 KOKAJIYA」を開く。趣味は狩猟。獲ったキジやカモは食材として頂いている。
温泉街の「食」に新風を
まずは、御社の事業概要を教えてください。
主軸となる「灯りの食邸KOKAJIYA」の他に、三条市の公共施設に併設された「三条スパイス研究所」や、今年5月、同じく岩室温泉にオープンした「岩室とり蔦」と、飲食店3店舗の経営を行っています。加えて、飲食店さんに対するプロデュース業(新規立ち上げのお手伝いや、お料理のレシピ企画開発)、お料理教室の開催、インターネットショップの展開なども請け負っています。
また、新潟大学前にあった老舗ラーメン店「楽久」の味継承をテーマに取り組んでいる「なみ福プロジェクト」も進行中。閉店してしまう老舗飲食店の味を継承し、次世代に繋いでいくという、飲食業の新しい形を試みるような取り組みにも参画しています。
今から十年ほど前、私は店舗を持たない「出張料理人」として、県内各地でケータリング事業を営んでいました。その頃、とある企画でこの古民家をお借りし、一日限りのレストランを開いたことがあって。そのご縁で、空き家になっていたこの場所がKOKAJIYAとして蘇ったんです。とり蔦も同じく、もともとは地域の空き家だった物件を活用した店舗ですね。
地域に継ぎ手のいない空き家が増えている、ということでしょうか?
はい。この周辺だけでもまだまだ多くの空き家があるみたいです。僕は岩室の生まれではないのですが、昔は「新潟の奥座敷」なんて呼ばれて、相当に賑わった街だと聞きますから。時代の流れとともに、住む人を失う家々も増えてきているのかなぁという印象です。
そうした物件に光を当てるスタイルは、地域の未来を照らす一端であると感じます。
ありがとうございます。地域の方々もそう感じてくれているのなら、やった甲斐があるというものですね。街のレストランという立場から、温泉街全体の盛り上がりに寄与すべく、近隣の旅館さんなどと協力し合えるというのは、とても良いものだなと感じています。
というのも今、「ゆもとや」さんや「ほてる大橋」さんなどと連携して、いわゆる「泊食分離プラン」を打ち出しているんです。ひとつの旅館で夕食から入浴、宿泊まで全てを済ませてしまうのではなく、うちでディナーを取ってもらった後、旅館さんへ移動して宿泊してもらう、既存のスタイルに囚われない旅の形を作ってみたいと思いまして。
この構想自体はKOKAJIYAの開業当初からあったのですが、当然、旅館さんサイドはディナーの売り上げを丸々失くすわけですから、簡単には受け入れてもらえず……。オープンして三年目くらいでようやくお話をさせてもらって、プランを売り出すことができました。
いち利用者の立場としては、選択の幅が広がることで岩室温泉の魅力も増しそうですね。
そうですね。やっぱり旅における「食事」って相当重要な位置にあるイベントじゃないですか。旅館でゆっくり食べるお食事ももちろん良いものですが、すぐそばのレストランで、地元食材のフルコースを楽しむことも、選択肢のひとつとして選べる。そういう「今までになかった楽しみ方」がひとつでも、ふたつでも増えるだけで、お客様の「思い出への残り方」も変わってくるだろうなと。
結局はそれが一番良いことだと思いますし、実際に、この泊食分離プランに対するリピーターさんもいらっしゃいますから、それなりの手応えは感じているところです。お客様への貢献はもちろん、この街の人の流れや、活気そのものに対する貢献が少しでもできているなら、始めて良かったなぁと思えます。
原点、そして逆境からの再起
ここで、熊倉シェフが料理の道に目覚めたきっかけをお聞かせください。
僕、小さい頃から海が好きで、もともとは海洋学者になりたかったんですよ。なんとなく「沖縄ならその夢が叶うんじゃないか」という気がして、沖縄の琉球大学に進学し、海洋学や自然物理を学んでいたんですが……。一方でどこか腑に落ちない、モヤモヤした感覚があって。
そんな大学4年の夏。たまたまバイトとして雇ってもらった、とあるカフェバーで人生観を変えられたんです。そこで出会う人々は、僕の知らない生き方をしている人ばかりで、本気で「ずっとここで働いていたい」と思いました。夏休みの間だけでは気が済まず、勢いで大学を一年休学したほどです(笑)。これが、飲食業界に足を踏み入れることになったきっかけですね。
思うにその頃の僕は、自分の体験をもとに「何かを作りたい」、そしてそれを「誰かに伝えたい(表現したい)」という思いが強かったんじゃないかと。学問を掘り下げて何かを探求する行為も嫌いではありませんでしたが、当時は「料理を作る」「空間(店舗)を作る」「体験(おもてなし)を作る」といった試みの方が僕には合っていて、その先に、僕にとっての喜びがあると分かったんです。
その後も経験を積んで、ついには沖縄でご自身の店を持つまでになられたと聞いています。
もっとも、今はもう閉店してしまいましたが。十年以上前、新潟で自営業を営んでいた父の仕事が駄目になってしまったことがあって。一応長男ですし、どうしても僕が地元に戻らざるを得なかったんです。あれはゼロからというより、もはやマイナスからの再出発でしたね。
冒頭で話したケータリング事業というのは、実はこのときに立ち上がったもの。私たち家族に対する義理人情もあったんでしょう、父の友人をはじめとする何人かが、私に出張料理人としての仕事をくれたんです。最初はぜんぜん上手くいかなくて、めちゃくちゃ怒られましたが……(笑)。それでも、当時のお客様とは未だにお付き合いがあります。本当にお世話になりました。
今から十数年前というと、ケータリングサービスがまだ世間に普及していなかった頃でしょうか。
そうですね。加えて僕自身、沖縄時代はずっとカフェバー風(どちらかと言えばお酒がメイン)のお店にいたこともあって、料理に関する専門的なスキルは決して高いわけではなかったんです。その分、各地で巡り合った人に声を掛けて、フードユニットを組んでみたりもして。
製菓担当の佐藤千裕さん、企画・広報の山倉あゆみさん、熊倉シェフの3名で、2010年に結成した「DAIDOCO」ですね。
ケータリングの仕事には常に、単身で敵地に乗り込んでいくアウェー戦のような感覚があるんですよ。そういう雰囲気と、3人組のフードユニットって触れ込みがマッチしていたのもあったのかな。少しずつ、少しずつですが重宝してもらえるようになって。店舗に囚われない次なるビジネスの形として、それなりに注目されるようになりました。
ここ数年は、メンバーそれぞれが自分のところの事業で忙しくしています。集まる機会もめっきり減りましたが、互いに試行錯誤し合っていた当時を思い返すと、やはり「何かを作る」実感に溢れていて、個人的には結構楽しかったなぁと思っています。
「伝える」ことは「楽しむ」こと
今ではここ岩室温泉を拠点に、再び店を構えるに至った熊倉シェフ。今後の狙いは何でしょう?
今は、岩室温泉で一棟貸しのお宿を開く準備を進めています。来年春くらいのオープン予定ですかね。理由としては、例によって空き家なのですが、その立地が良かったんです。KOKAJIYAがあって、とり蔦があって、そのお宿があって……という、街の小路との関連性が僕の中でとてもしっくりきたといいますか。
ゆくゆくはそのお宿を使って、もっと限定的かつ、特別な旅の体験を提供してみたいんです。具体的には、一日一組限定プランとして、そのお客様のためだけにお料理があり、お宿があり……という、オーベルジュ(宿泊設備を備えたレストラン)のような至れり尽くせりの一日を過ごすイメージで。非日常から、さらに非日常へと入り込んでいく感じを表現したいなぁとぼんやり思いつつ、どういうスタイルでやるかは検討中です。
本領である「食」に加え、これまで近隣の旅館が担っていた「泊」の領域にも進出する、と。
先ほど話した泊食分離プランについては、もちろん今後も続けてまいります。ただ、せっかく新プランを打ち出すのなら、従来とはまた違った層にリーチしたい。ですから新プランのお客様には、さらに広いスケールで、岩室温泉を楽しんでいただければと。
僕はその考えというか、概念を「街宿(まちやど)」と呼んでいます。この温泉街の中に寝るところがあって、食べるところがあって、ゆっくり散策できるところがあって、お茶でも飲んで休憩できるところがあって……。街そのものがひとつの宿として、余すことなく機能するような旅程をプロデュースしてみたい。
何なら、必ずしもKOKAJIYAで食べてもらわなくてもいいかな、とも思っていて。とり蔦で食べてもいいし、もっとよそへ足を伸ばしてもいい。岩室温泉街の中はもちろん、西蒲ですとか弥彦方面に行くのも良いですね。あっちにも良いお店たくさんありますし、そのくらいの中距離移動もまた旅じゃないですか。そういうのもアリかなって。
常にご自身の「やりたいこと」へと邁進し続ける熊倉シェフ。その原動力はいったい?
仰るとおり、妻にもよく「やりたいことしかやってないね」と言われます。僕の原動力ですか? 何でしょう……。多分、僕のやっていることって全部「ツール」なんですよ、僕にとって。行為そのものが好きというよりは、行為を通じて、自分を表現するのが好きといいますか。そういう欲求が常にあるんでしょうね。
思えば料理もそうです。僕にとって料理とは、間違いなく人生の主軸と呼ぶべきもの。ただ、そこには会社の経営だったり、街づくりだったり、チームづくりだったり……。ひと口に料理と言えど、その実さまざまに僕なりの自己表現が内包されている。そういう意味では、料理さえもツールのひとつに過ぎず、だからこそ、何をやっていても楽しそうに見えるのかもしれませんよ。
僕は自分が感じているものを、お客様にも同じように体感してもらいたいと考えています。ですが、それが単なる押し付けではあってほしくない。自然な形で共感を得るためには、私自身が楽しそうじゃないといけないし、料理は美味しくないといけないし、きれいに盛り付けられてないといけない。人に伝わるよう工夫を凝らす、その過程が好きなんですね。
次の自分へ、次の世代へ
最後に、これからの飲食業界を担っていく若者たちへメッセージを。
飲食業をやりたくて飛び込んでくる子って、やっぱり「料理を通じて人を喜ばせたい」というシンプルな夢を持っているんですよ。今、飲食業界はコロナ禍で何もかもが変わってしまったと思いがちですが、そこだけは昔も今も変わってなくて、すごくいいなと思うんです。
日本は他国に比べて、料理人の地位が低くて。個々人の食に対するこだわりは多様化する一方で、食事を楽しむ時間への感謝とか、食材への感謝、作ってくれた人への感謝みたいな部分は、むしろ薄れている気がするんです。それにめげず、若い子たちにはまっすぐな気持ちで食と接してほしい。
さらに言えば、飲食をやるやらないに関わらず、自分の選択に対してまっすぐでいてほしいかな。人間、生きていれば興味関心も変わりますし、途中で諦めちゃったから自分はもう駄目、みたいに考える必要はなくて。違うことがやりたくなったら、それをやればいいだけの話。とにかく何か、常に「次に繋ぐこと」を考えてほしいなぁと思います。
それまでの自分が得たものを、次のステージの自分に繋ぐ、ということですね。
それもそうですし、近頃は「次の世代」に繋ぐのも大事だなぁと感じるようになりました。沖縄でバイトを始めたあの日から、ずっと「この人たちカッコいいな」と思う先輩たちの背中を追いかけていたはずが、気づけば自分がもう四十代とかになっていて。今度は自分の背中が後輩たちに見定められちゃう年齢なので、少なくともカッコ悪いことはできないわけです。
そんな後輩たちもいずれ、さらに下の世代へと繋ぐために、カッコいい大人にならなきゃなんて考えるんでしょうね。そんなことの繰り返しが、それぞれの業界の未来を作っていくんだなって。気負わなくてもいいし、大それたことをしなくてもいいんですが、カッコいい自分でいようっていう、その気持ちは案外重要なのかも。
そんな「カッコいい大人」として、熊倉シェフが次世代へと繋いでいきたい夢は?
夢ですか。個人的には「山を買う」ことかな……(笑)。山を買って、そこで自給自足をして暮らしたいなんて個人的な願望はありつつ、やっぱりまずは会社ですよね。どんどん大きくしたい、みたいな感じではなく、もっと誰かのためになって、誰かの刺激になって、そこで働いてくれるスタッフの楽しみになって……みたいな、そういう会社にしたい。
まずはKOKAJIYAを、もっと大勢の人が食べに来てくれるお店にしないといけませんね。なかなかどうして、何年やっても理想には届かなくて(毎年、自分の中の目標値を上げているせいかもしれませんが……)。でも、永遠の目標があるからこそ頑張れる、みたいな部分もあると思うので、引き続きもがいていきたいなと。そんなところでしょうか。
インタビュー:2021年12月
Information
株式会社リトモ飲食店の経営・プロデュースを主軸に、農産物及び食品の小売り卸、レシピ開発、ケータリングサービスなど、地域の食と暮らしに関わる事業を展開。社名の由来は、かつて熊倉シェフが沖縄県那覇市で開業した「cafe&barl RitMo」から。
〒953-0104 新潟県新潟市西蒲区岩室温泉666
TEL:0256-78-8781
URL:https://kokajiya.com/