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column 27

阿部幸製菓株式会社2023.08.18

小千谷から発信する、日本の新しい食文化。

米菓メーカーでありながら、ユニークな商品開発や積極的な事業承継で成果をあげる阿部幸製菓。その活動の背景には「日本が抱える食に関する課題を解決したい」という一貫した思いがありました。役員として経営に携わる阿部専務は、「以前は家業を継ぐことも、食べ物やお菓子にも興味がなかった」と話します。どのようにしてこれらの課題解決を自らの「使命」と定めたのか、その思いを伺いました。

阿部 幸明(あべ ゆきあき)1984年小千谷市生まれ。幼少期から高校までを同市で過ごす。将来の会社経営を見据え、見聞を広める為に県外の大学へ進学後、イギリスに留学。卒業後は食品関連企業で幅広い経験を積み、2011年に家業である阿部幸製菓に入社。2023年6月1日にグループとなった「浪花屋製菓」の代表取締役に就任する。地元の小千谷では「山本山高原」の中腹から眺める景色がお気に入り。

「現状維持は衰退」。社内に浸透する、開発型企業の精神。

阿部幸製菓の事業内容と沿革について教えてください。

阿部幸製菓は「柿の種」や「あられ」、また「鏡餅」の製造と販売をメインに行っている会社です。特に業務用の柿の種の製造を強みとしておりまして、その分野では日本一の供給をさせていただいています。その他にグループ企業では、惣菜や食品の製造と販売、飲食店の運営、和菓子屋の経営などもやっておりまして、食品を扱う幅広い事業を展開しています。 沿革についてですが、商売としては120年以上続いておりまして、元々はお米の卸や「馬市」の仲買人のまとめ役みたいな事を生業としていました。戦後になってから私の祖父が手焼きのせんべいや、あられの製造を始めたことをきっかけに事業を拡大し、1964年に「阿部幸製菓」として会社を設立しました。

今では沢山の製品を製造・販売されていますが、その中でもオススメ商品がありましたら。

全て自信を持って展開しているので選ぶのが非常に難しいんですが…阿部幸製菓の柿の種を7つのフレーバーで楽しめる「かきたね」という商品と、『柿の種を食卓へ』をキーワードに柿の種を調味料にした「柿の種のオイル漬け」という商品でしょうか。これらは阿部幸製菓の自社ブランドの中でも知名度が高く、お客様からの支持もいただいております。

グループ内では、更に色々な食に関する事業を展開されています。それらの企業を子会社化するきっかけは。

私たちがM&Aを積極的に行う理由として、米菓をはじめ新潟の製造業に後継者がいないケースが増えているということが上げられます。伝統的な菓子・食品がなくなってしまう前に、何とかして次世代へ繋げていかなければならないと思いました。次に、品質が高い日本の米菓やお菓子の市場を世界に広げる必要があると考えたこと。これらを使命として捉え、M&Aによるグループ展開を行っています。

6月1日から「元祖柿の種」の浪花屋製菓がグループになりましたが、日本で初めて柿の種を作った企業です。そのブランドと親しまれてきた製品、そこで働いてくれている従業員の人たちや地域の事を考えると、ここで諦めずに次世代につなげていかなければならないと強く思いました。

日本人にとって親しみのある米菓ですが、業界ではどのような課題があるのでしょうか。

歴史のある良い商品はたくさんあるんですけど、米菓業界全体としては技術革新があまり進んでいないことが上げられます。それから、米菓って作る工程で非常に時間がかかるんです。お餅を仕込んで乾燥させて、切ったり型で抜いたり、焼いたり揚げたりと何日もかかるのに、価格的価値が低いんですよね。あとは購買層の高齢化、若年層の米菓離れとも言えるでしょうか。この辺りが米菓業界全体の課題と捉えています。

阿部幸製菓はどのようにして「業務用柿の種」供給日本一になられたのでしょう。

我々が「業務用柿の種」の供給日本一になれたのは、現社長である父と先代の祖父が、当時では画期的な製造設備の開発に成功したことが大きいです。本来であれば数日かかっていた工程を、例えば2日に短縮するとか。そうやって生産性の高い製造ラインを自分たちで作り上げた事が、阿部幸製菓成長のベースになっています。

現状に甘んじることなく、より良く改良していくところに“阿部幸製菓らしさ”が出ているわけですね。

そうですね。社長から私や社員に与えられたミッションがあるんですが、「常に自分ごととして考えて、どんどん提案していきましょう」ということと、「現状維持は衰退。成長させていくために新しいことに挑戦しよう」というものです。そんな心掛けもあって、私たちは阿部幸製菓を「新しい事に挑戦していく“開発型企業”」なんだって考えています。

元々私たちは「ニッチでも市場占有率の高い商品を作る」という点を重視していますし、先代なんかは「名誉名声よりも実際の利益とか成果をとるように」と言われていたようです。会社全体で新しいものを開発して世に出していくところが、我が社の特徴だと思っています。

「かきたね」や「柿の種のオイル漬け」といったユニークな商品の背景には、先代や現社長の思いがあると。

そうですね。これらの商品を知っていただいた時、「こういう商品って専務が考えたんですか?」ってよく聞かれるんですけど、あくまで私は方向性を話すだけなんですよ。それに対して社員のみんなが「こんな商品があったら面白いと思います」とか、「こうしたら柿の種の認知度が上がると思います」って主体的に考えて提案してくれて、完成しました。 こんな風に社員が前向きに考えてきてくれた事に関して、基本的に私はNOは言いません。もちろんその提案が正しいかどうかは分かりませんけど、良いと思って考えてくれた事に対しては、どんどん「形にしていく」という点を、かなり強く意識しています。そういうところは特徴というか、“社風”かなって思います。

自発的に考えて行動する社員さんは頼もしく心強いですね。CSR活動でもみなさんはどのように取り組まれているのでしょう。

会社全体ではフードロスの削減、省資源化、太陽光パネルを設置した省エネルギー化等に取り組んでいますが、その他に社員が中心となって、「地元地域に貢献したい」という思いで始めた取り組みがあります。その一つが「小千谷米菓祭り」っていうイベントで、日頃お世話になっている地域のみなさんを招待し、楽しんでいただくことで感謝の気持ちを還元しようというものです。あとこれも社員からの提案なんですが、敷地内に「ドッグラン」を作りました。そこは基本的に無料で開放していまして、利用する方たちとの繋がりを強めたり、コミュニケーションのきっかけになればと思い、運営しています。

地元愛と環境が気づかせた、自身の使命。

生まれも育ちも小千谷ということですが、子どもの頃、学生の頃はどのように過ごされていましたか。

両親から「おしゃべりでひょうきんだ」って言われてました。学生の頃はバスケットボールをやったり、当時流行っていたパンクロックのコピーバンド活動をしたり、友人達と集まって遊んだりとか、そんな学生生活だったと思います。

学生の時に「こんな人になりたい、こんな職業に就きたい」といった思いは。

自宅と会社・工場が隣接していたこともあって、父親からは「ゆくゆくはお前が会社を継ぐんだ」って言われていたんですが、実は子どもの頃は食とかお菓子に全く興味がなかったので、非常に抵抗感がありました。

学生時代は洋服が好きだったこともあって、「古着屋を自分でやりたい」って思っていた時期があったんです。それで社長である父親にそんな話をした時に言われたのが、「お前がやりたい古着屋は、今後阿部幸製菓の事業の一つとしてやれるんだぞ」って一言でした。それを聞いた時に、なるほどと思ったんですよね。腑に落ちたところから、「じゃあしっかりこの家業を継いでいこう」という考えに繋がったので、とても強く印象に残っている言葉です。

確かに、事業のひとつとして展開するという経営方法もありますね。

今はかなり私の方に経営を任せてもらっていますが、結局古着屋はやりませんでしたね(笑)。社長と私は親子ですけど、感性も含め違う部分は全く違うんですよね。決して似ているとは思わないんですが、ただ経営に対するベースの考え方は非常に近いなっていつも思います。特段背中を見て育ったつもりはないんですけど、そこは一緒に経営していく上で、考え方が一致できて良かったと思います。

高校生までを小千谷市内で過ごし、大学は関東の方へ進学されたと。

実は私すごく地元愛が強くて、県外には絶対出たくないって思っていたんです。でも両親から「大学は県外に行きなさい」と強く勧められたので、渋々県外の大学に行きました。その後「今はグローバル社会なんだから、絶対海外に行っておきなさい」と、有難いことに言っていただいたので、卒業後はイギリスに留学させてもらいました。

阿部幸製菓に入社される前に勤めた企業などはございますか。

留学から帰ってからは、「せっかくなら海外で仕事しよう」と思って、韓国の企業にお世話になりました。そこで仕事のお手伝いをさせてもらって、その後日本に帰ってから自分で就職活動をして、東京にある「仙波フーズ株式会社」様に入社しました。現在はユナイテッドフーズインターナショナルっていう名前ですけど、食品のOEM製造をしている会社で3年ほど勤めました。

この時は既に「阿部幸製菓を継ぐ」という気持ちを持っていて、将来をイメージしながら働かせてもらいました。非常に幅広い業務をさせてもらえて、原材料の調達から商品企画、お客様への折衝、生産工場での生産計画等を、営業としてたくさん経験させてもらえました。それらが現在も私の一部として生きていますね。

進学や就職など多くの決断や意思決定をされてきたと思いますが、ご自身のターニングポイントとなった言葉や出来事などはあったのでしょうか。

一つは海外留学ですね。海外の人とコミュニケーションを取ると分かるんですが、彼らは自分たちの国とか国民性とかに対する理解と、それを伝えようという意識が非常に高いんです。なので自然と自分の視野が広がったというところは、ひとつのきっかけだったと思います。あとは東京で勤めていた時に、取締役である母親から「実は今、会社の経営が厳しいからそろそろ戻って準備して欲しい」っていうことを真剣に言われた時ですね。そろそろ自分が会社に関わって準備しなきゃいけないんだっていう意識を強く持ったので、それもターニングポイントだったと思います。

阿部専務は仕事はもちろん、地元や地域に対してとても熱く、強い思いを持っていらっしゃるんだなと感じました。今後、地元である小千谷や新潟でやっていきたい事などはありますか。

私は地元や地方の食品・菓子を扱っている企業を次の時代につなげていくこと、それが自分の使命なんだと強く思っています。日本の伝統的な菓子とか高い品質の食品を絶やさずに、小千谷や新潟県内で次に繋げていきたいと思います。

あと、新潟って良いものはたくさんあるのに、発信の力が弱いなって思うんですよね。これはまだまだこれからの取り組みですが、自分たちが持っている良いものを、同じような志を持っている人たちと一緒になって、発信していけばいいんじゃないかなと考えています。そうすれば新潟の良さをもっともっと広められて、地域の活性化みたいなところにも繋げていけるんじゃないかなと。

コロナ禍での挑戦、新しい仲間。

ようやくコロナが落ち着いてきた印象がありますが、阿部幸製菓ではコロナによってどのような変化がありましたか。

この数年のコロナ禍でみなさんの生活様式が変わりましたよね。在宅ワークに切り替えたり、宅飲みの機会が増えたりしたと思います。そういったところで、柿の種のようなお茶菓子とか、おつまみの需要が増えたっていう変化がありました。その一方で、お土産とかギフトなどの商品はかなり打撃を受けましたね。私たち自身も海外に行くことができない等、制限がありましたが「コロナ禍であっても新しい挑戦はしていきたい」と考え、国内での事業投資を積極的に進めました。

「国内での事業投資」とは、どのような事をされたのでしょう。

実はコロナが始まる前、ベトナムに出張した時のことなんですが、ベトナムのホーチミンにある「PHO'MINH(フォーミン)」っていうお店で食べたフォーの美味しさに大変感動したんです。すぐオーナーに「あなたのフォーを日本で展開させてほしい」と直談判して、私の考えに共感してもらえたことから、フォーミンの2号店を東京にオープンさせることができました。それが2020年の12月という、正にコロナ禍の真っ只中でしたね。その後、自社の米菓製造技術を応用させてフォーの麺の製造に成功し、スープ等も全て自社で内製化できたことから、全く新しい分野へ参入することができました。

そのノウハウをベースに試行錯誤を重ね、100%新潟県産の米粉を使用した、"つるっともちっと"したお米の麺「米粉麺」が完成しました。この米粉麺を新しい日本の食文化として広めるため「たねや」という新しいブランドを作って、「新潟うどん たねや」、「おコメの麺専門店 たねや」、「新潟まぜそば たねや」という店舗を運営し提供しています。

あの“つるっともちっと”した特徴的な麺は、米菓の製造で培われた技術があったからこそ、生まれたのですね。

私たちの米粉麺は、米菓の製造技術を応用してあの食感を再現しているので、他の製麺業のメーカーさんとは違う、独自の技術と製法です。日本の食料自給率が低いことや食料安全の観点からも、自分たちで生産できるお米を活用することはとても意義があると思います。ゆくゆくは米粉麺を「ラーメン・蕎麦・うどん」に継ぐ、『第四の新たな麺』として、日本の新しい食文化を作りたいですね。そこから日本の食糧問題の解決につなげていきたいと思ってます。

事業のベースにある「お米」を様々な形で展開していらっしゃいますが、日本が抱える食糧問題のどのような点を懸念されていますか。

新潟県は日本でも有数の美味しいお米を生産しています。そのお米を原材料としたたくさんの米菓と、それらを作り出す技術がありますが、現在の食文化の中で米離れが起きたり、農家さんに後継者がいらっしゃらなかったり、そういう課題もあって、お米の消費が年々落ちているんです。そんな状況ですが、私たちが「米菓」という、お米を原料とした製品を扱っているからには、お米を私たちの事業の軸にして、少しでも価値の高いものを作るとか、米離れという課題に対して、自分たちに何ができるのか考えて取り組む。それが使命なんだと思っています。

浪花屋製菓を子会社化した決断にはどのような思いがあったのでしょうか。

浪花屋製菓は今年創業100周年になる企業で、事業承継の話を聞いたときは「100年企業の浪花屋製菓と、元祖柿の種という商品を後世に繋げなければ」と思いました。

お互い競合相手でもありますが、実は中越地震で小千谷が被害を受けた時に浪花屋製菓さんから供給を助けてもらったり、同業者として同じ米菓の組合等で会ったりもしていたので、もう何年も前からコミュニケーションを取って「一緒にやれる事はないか」っていうことを模索していたんです。お互いの強みを生かし合い共に成長していきたい、と。そんな関係を築いていたから、事業承継の話が出てきたときに「同じ柿の種屋として、私たちにしかできない」と思って手をあげました。そういったいくつかのタイミングが重なり、100周年という節目で一緒になれたんだと思います。ただ、ここがスタートなので。これから新しい浪花屋製菓として、グループ一丸となって次の100年を目指して進めていきたいと思ってます。

志を共に、日本の食を世界へ。

阿部幸製菓とグループ企業の今後の展開を教えてください。

これからも積極的にお米を中心にした事業領域を拡大していきたいなと思っていて、社内でも「私たちは“お米と和の嗜好品メーカー”になろう」と掲げています。これは私たちが取り扱っているお米を軸として、日本の和の食を広げていくことを目指しています。それも単純な食品ではなくて、例えばお菓子等の嗜好品を展開していく。これが私たちの取り組んでいくべき目標であり、姿なんだと思っています。今後も新しい事業領域に広げていきたいと考えていますが、日本全国・海外も含めて、しっかりとした軸をもって展開していきたいと思っています。

 新しい事業を展開していく基準として、掲げているものが3つあります。一つ目は「日本の伝統的なお菓子・食品である」ということ。それが我々のようにお米を加工するメーカーとしては大事なことだと捉えています。二つ目は「私たち自身が本当に美味しいと思えて、一人でも多くの人たちに食べてもらいたいと思えるもの」。三つ目は「阿部幸製菓の本業である“柿の種”とのシナジーが生み出せる」ということ。この三点を物差しというか、基準にしています。

次々と新しいことに挑戦されていますが、仕事や人生を楽しむためのキーワードがありましたら教えてください。

自分自身で心掛けていて、また社員のみんなにも伝えていることが、これも3つあります。一つは「常に前向きでポジティブに」っていうこと。二つ目が「どうせやるなら楽しく熱く情熱的に」。そして「ワークライフバランス」です。私は今、自分がしている会社の仕事が楽しくて仕方がないんですけど、やっぱり仕事以外の生活・人生も大事なので。家族や趣味もそうですね。仕事とプライベートのバランスをしっかり取るっていうことがすごく重要だと思ってるので、私自身いつも意識するようにしていますね。

阿部専務の今後の目標は。

これからもどんどん新しいことに挑戦していきますが、それを色んな人たちと一緒になってやっていきたいです。いろんな分野に事業を展開していく中で、「自分で経営をやってみたい」と考える人の育成もしていきたいなとか、そんなことを目指して日々取り組んでいます。 繰り返しになりますけど、やっぱり日本の食品とか日本のお菓子って、世界から見てもすごくクオリティが高いんですね。なので価値の高さを世界に広げていくことによって、日本が抱えている食の課題を少しでも解決できるような、そんなことを新潟から海外へ向けて発信していきたいと思っています。

最後に、これから新潟や日本を担っていく20代、30代の方達に向けて、阿部専務からメッセージをお願いします。

業種は様々だと思うんですけど、食品とかお菓子を扱っている我々がお米の問題に取り組むみたいに、日本が抱える課題の解決に向けて取り組んでもらいたいですね。あとは常に新しいことに挑戦していくっていうこと。できない理由を並べて動かないって事が多いんですけど、とにかくまずはやってみると良いと思います。いずれにしても日本という枠にとらわれずに、チャンスがあるなら海外に行っていろんな人たちと触れ合ってほしい。そして自分がやるべき・やりたいなって思うことは、行動に移す。そういうことが若い人にとってはすごく大事なんじゃないかなって思います。

インタビュー:2023年6月

Information

阿部幸製菓株式会社 昭和39年(1964)設立。業務用柿の種供給日本一の米菓メーカー。「現状維持は衰退」をキーワードに、本業である米菓製造業と共に、新事業の展開や事業承継も積極的に行う。自社ブランドの看板商品「かきたね」と「柿の種のオイル漬け」は、専用ECサイトで購入が可能。

〒947-8585 新潟県小千谷市上ノ山4-8-16
TEL:0258-83-3210(代表)
URL:https://www.abeko.co.jp/

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