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column 23

株式会社 ヒカリ食品2022.12.15

人より一歩先へ進み続ける。
スポーツ選手セカンドキャリアの道しるべに。

五泉市に工場を構える、おかゆ専門メーカーの「ヒカリ食品」。2020年にM&Aで社長に就任した中山さんは、元プロ野球選手という経歴の持ち主。選手時代・コーチ時代に、自分が何をすべきかを常に考えていたという経験が、現在の経営に役立っていると話します。「スポーツ選手のセカンドキャリアの部分で道しるべになりたい」という中山さんの思いと、その先に続く壮大な「目標」「仕事」の話を伺いました。

中山 大(なかやま たかし)1980年生まれ。新潟市中央区出身。小学校4年生から野球を始め、2007年に新潟アルビレックスBCに入団。選手として2年、投手コーチとして3年チームに貢献する。2016年株式会社NSIに入社。同社に所属しながら2020年にM&Aで「ヒカリ食品」の社長に就任し、現在は複数の事業をマルチに経営する。「プライベートでも課題を解決してるのが好き」と話すほどで、日々の課題を瞬間的に終わらせるスピード感と行動力を「千本ノック」に例える。

M&Aによって企業の課題を解決

まず、ヒカリ食品さんの業務内容を教えてください。

五泉市にありまして、9割9分お粥だけを専門で作らさせていただいている会社です。

お粥には新潟県産のお米を使わせていただいています。お粥の種類は白粥、黒米粥、発芽玄米、あとスポットで七草粥、今は桜粥。また、防災備蓄用の5年6ヶ月保つレトルトパックのお粥や、3年保つ缶のお粥、それはあずき粥もあります。他にOEM的なものも多数揃えているという形です。
販路は関東・関西の方がメインですね。直販というよりは必ず商社を通して、色んな小売さんに流していただいている形です。

新潟県産米、良質な五泉の水を使用したお粥は、お米本来のおいしさを感じられます。お粥はスタンダードな味からアレンジされた味までラインナップ多数。非常食としてだけでなく朝ごはん等の普段の食事にもおすすめです。
中山さんがM&Aで社長になられた経緯を教えていただけますか。

現在もNSIという会社に属していて、そこで新規事業の立ち上げをずっとやらせていただいております。元々紙媒体の卸しをメインとしている会社なんですけれど、卸しって利益率が低いので、メーカー的なものを持った方がいいと。その中で、紙媒体に対して紙媒体のメーカーってのは競合になってしまう。「じゃあ、違うジャンルのメーカーを探そう」といった話になり、私が食品に興味あったので食品関係のメーカーで考えたとき、たまたまヒカリ食品にM&Aの話があったので、NSIに紹介をしました。

ただ、その時はコロナ禍のど真ん中で、いつ終息するかも分からないような状況だったため、NSIの代表も判断がつかず今回いい話だけど止めようって話になりました。

その仲介として、僕はずっとヒカリ食品の元代表や担当者とやり取りをさせてもらっていて、情が移ったじゃないですけど凄くいい会社だなっていうのを感じていて、将来的にNSIもM&Aをこれからしていかなきゃいけないだろうっていう見込みがあり、その経験値を誰かが持ってた方がいいなと思ったんで、それなら自分がやった方がいいなと思って個人的に買わせてもらったっていう経緯ですね。

その後M&Aをしてどのような経営改革をされましたか。

簡単にかっこいい言葉でいうとマーケティングさせてもらいました。どうやったら勝ち筋があるかなっていうのと、あとはどういう営業をかけると一番効果的かなっていう事を取り組みました。営業の部分とマーケティング戦略の部分をどう組むかっていうのをきっちりやらせてもらったっていう流れです。

M&Aで進めていこうと思ったのは、中山社長のお考えだったのでしょうか?

NSIという会社でゼロイチをやらせてもらっていて、その時はたまたまBリーグの初年度でした。僕がNSIに入って一番最初の仕事がそのBリーグのイベントをエンターテイメントの部分で盛り上げて欲しいっていう事で、そのエリアを統括してイベントを組ませてもらってました。その後、JRAや古町や万代のイベントもやらせていただいている中で、コロナで一回スパッと切れたんですよね。一応3、4年目で軌道に乗ってきて3年ちょっとかかってそれなりの収益事業にできました。あと、どういうスキームでお金を稼いでいくかっていうのを実践しながらやらせてもらって、経験値にはなりました。ただ、この3年間でこれから会社が落ちていく売り上げと粗利に対して合わないなと思ったんですよ。

紙媒体なんで、これから需要っていうのは無くなりはしないにしてもちょっとずつ減る。そのスピード感と事業の売上を作るっていうスピード感が合ってなかったんです。そこに凄く僕も違和感があったので、M&Aである程度出来上がってるもの、人材がいて売上がある程度立っている、ただ課題があるっていう所の方がこの課題解決さえすれば軌道にのるわけじゃないですか。すぐにっていうのを試してみたかったのもあったんです。正直そこが一番強かったんですよね。じゃないとNSIが今の売り上げを保てなくなるだろうっていうのが見えたので。一番スピード感があるのは人材も揃っている、会社としては売り上げやスキームがもうすでにあるっていう状態を預からせていただいて、その中でどう改善するかを考えることが自分自身得意だって気付いていたので、それでトライしてみようと思ったんですね。

新潟県内でも優良企業だけれどM&Aを進めている企業は増えているんでしょうか?

凄くお話は沢山いただいておりまして、今現在も2つぐらい平行して進めているんですけれども、「なんでこんないい会社がこうなんだろうな」とか、あとは後継者不在が本当に多いなと感じます。

その中で、やっぱり社長さんが求めてる「マネジメントができる人材」が居ないっていうのがまあ、多分すごい大きいのかなと、現状聞いてる限りでは感じますね。

現在何社ぐらい経営されているんですか?

今は「ヒカリ食品」と、栃木の納豆の事業譲渡と、ジム、「マルイケ」と、あと「丸山ステンレス」っていう商社と「川口印刷」ですね。3つはヒカリ食品のグループですけど、「丸山ステンレス」「川口印刷」は個人で買いました。

やっぱり事業継承されない会社っていうのは、後継者不在が理由なのでしょうか?

おそらくそうだと思いますし、教育をしてきてる会社が少ないなって事は凄い感じますね。

僕は野球をずっとやってきたんでそうなんですけど、野球も「コーチを育てる」っていう事をしない監督さんが多いなと凄い思っていて。

だからなんとなくコーチになって、何も言われないから独学でといった方が以外と多い。研修や教育が無かったとしても、将来どうなりたいかっていう自分の目標を感じれない方はそこで止まっちゃうのかなって。

会社のことを本当に考えてるスタッフって多分数少ないと思うんですけど、そういう人たちが「将来的に自分たちは多分こうなるだろう」っていうその中で自然とマネジメントを学んでいくんですよね。

チームマネジメントから企業マネジメントを学ぶ。

今ほど野球をされてたというお話でしたが、その辺についてもう少しお話いただけますか。

小学校4年から大学まで。その後バイタルネットの社会人野球で4年間。その後丁度「独立リーグ」ができまして、1年間スタッフで入らせてもらって、その後2年間選手をやらせていただきました。そこから5年、新潟と富山でコーチをやらせていただきました。

その後1年間もう1回また球団職員に戻ったんですけど。そういう流れで小学校4年から35歳までずーっと野球に携わらせていただきました。

独立リーグで球団の選手ではなくてまず、「職員」になりたいと考えられたのは何故でしょうか?

将来起業したいっていうのがありまして。独立リーグの立ち上げだったので「企業を立ち上げる時ってどうするんだろう?」っていうのが見たくてやらせていただいて。

それが最後終わる時には「球団代表補佐」っていう立場で。球団の理念が大きく、全体を見ることができたので、非常に勉強になりました。

マルチ経営のベースは独立リーグを経験して得たものでしょうか?

そうですね。やっぱり一番大きいのはコーチ時代ですかね。

5年間コーチやらせていただいて、監督と選手の間に立って自分が何をすべきかって事を常に考えてたので、それが一番勉強になりました。

コーチは、自分が試合でパフォーマンスを出すわけでは無いので、選手が勝つための環境作りが大切になります。「こうやれ。」じゃなくて、「チームとしてこういう風に勝ちにいくから、君たちには何が必要かな?」っていう風な形で問いかけながら、ティーチングよりもコーチングを強めにしていました。

チームマネジメントと企業マネジメントに共通する部分があるんでしょうか?

行くべき方向が野球の場合は「全員プロになりたい」と思ってきているので、ちょっとブレても必ずすぐ戻ってくる。それに比べ、企業の場合だと色んな立場が違う状態で来ていて、ただお金を稼ぎたい方もいらっしゃれば、自分はこの会社を愛しているという方もいる。皆モチベーションにズレが大きいので、よりルール作りっていうのは大変だなっていうのは感じますね。

プロスポーツ選手の引退後のセカンドキャリアについて悩まれる方は多いのでしょうか?

その辺は球団やリーグの方向性によるかと思うんですけど、僕らの時はセカンドキャリアがあるよって事を伝えるために、『3年賞味期限』って明確に選手に言ってたんですよ。「3年で引退しろ」と、「次の社会に早く出て社会を学びなさい」っていうスタンスがすごく分かりやすくて、僕らもそれを伝える側でもあったので。

残るとしたら本当に可能性がある場合。もう1年頑張ったらNPBにいけるよ、球団職員に残るとかコーチになるとか、何か明確な次のステップがあるのであれば4年目残ってもいいよって言ってたんですけど、それ以外は早く辞めたほうがいいと伝えてきました。

その分ちゃんとした期限を決めて打ち込み、それで成果が出なければそこまでなんですよ。間違いなく。「いや、まだいける」と思うかもしれないですけど、その先の人生の方が長くて、その次のステップをどうするかって事を考えなきゃいけないと思うんですよね。僕らは特に橋上監督が「早く辞めろ」っていう監督だったので(笑)期限があるからこそ、一日一日の練習を凄く大事にした選手が多かったなって思いますね。

選手時代やコーチ時代にいろんな人と出会われたと思います。影響を受けた人はいらっしゃいますか?

単純に言えば全員の方から影響は受けました。たまたま1年1年監督が違う環境でしたので、皆さんから影響は受けたのですが、特に橋上さんがドカンと。何をするにも深いんです。反復活動が何に繋がるのかっていう、落とし込みの仕方が凄いんですよ。準備もどれだけ想定していて、ビジネスだとリスク値をどれだけ意識して想定してやってるのかっていうとこに繋がるってのも、その時の深掘りの仕方をすごい学んだので、それが一番活きているかなと思いますね。

確かに、そのスポーツ選手時代、コーチ時代で学んだからこそ、今それが普通にできるわけですよね。

そうですね。一流の人達って1勝に対するこだわりが本当に凄いんです。そこの中で僕のコーチ的な立場でミスしたなって思う時に、面と向かってガッって言われたの橋上さんだったんですよ。「お前それでちゃんとやってんのか!」って言われて。

性格的に僕も負けず嫌いなんで、なにクソで、次こうやってやろうと思って、なんとか喰らいついて行ったと言うか、この経験が多分本当に今活きているのかなって思いますね。あのときに強く言ってもらえなかったら、多分なんとなくだったんですよ。BCリーグでコーチ経験させてもらって一番良かったと思います。本当の一流の人に触れさせてもらったというか。

良いことも悪いことも、全てが『経験値』。

現在は新潟中心で活動されていますが、新潟以外で挑戦してみたいことはありますか?

これから戦略的な部分ではあるんですけども、海外で仕事したいってのもあって。

マーケットがまだまだ勿論日本にもあるんですけれども、ブルーオーシャンに入って行った方がいいかなと思っているので、まずは海外っていう中小零細で上手く入りきれないところの課題が見えてきたので、弊社が行ければ他の我々と似たようなところでも行けるようになるって言うところの、海外ルートを作っていきたいなと思ってますね。

海外展開や今後新たに考えてる部分はありますか?

海外展開をしていく中で今後の僕のミッションの一つとして、海外の球団を買いたいって思いがあります。日本球団を買うのはちょっと難しいと思うんですけど、海外はチャンスが実はあるとわかっていて。

なので、僕が買った球団が日本の選手が行ける場所であって、また企業としてもその球団を上手く活用して、広告的な形で使わせてもらって、そこを基準にまた海外のアメリカ等の大きいところに打診する一手にできればいいなと思ってますね。

今、プライベートでハマってることはございますか?

考えてることが好きで、課題解決してるのが好きなんですよ。昨日も新幹線移動中とか本を読んでいたんですけど、本は好きなんですけど、本が好きで読んでるというより、課題があってそれを解決するために本読んでるみたいな感じです。どう自分の会社に転化するかっていうふうな事で、「ああ、これだったら解決できるな」みたいなのを考えるのが趣味ですかね。

もう色々課題解決するのが体の中に染み込んでいるみたいな感じですかね。

そうですね。経験値が上がるとドラクエのレベルが上がるみたいな。1000人の前で講演したのを1回経験すると100人の前だとそんな緊張しなくなるとか。経験値が上がれば上がるほど、その場に場慣れしていくというかこういう事なんだろうなってのはなんとなく今経験させてもらってますね。

その経験の中で課題解決のスピード感も養われているという事でしょうか。時にはそのスピードから判断を間違えたと感じることもあるのでしょうか?

都度の課題がいっぱい来るんですけど、それを全部瞬間的に終わらせてます。そのスピード感をゼロ秒思考っていうんですかね。課題解決能力のスピード感と行動を早くして、その日で解決して、これこれこれっていう決断の速さとルーティンワークしてるんですね。これの繰り返しです。

間違えはあると思いますね。けど、それをまた修正するっていうスピード感をどれだけ早くするかってだけなんで。これだけの千本ノックを耐えられる耐久力を身に付けられるかだけだと思います。やろうと思えば誰でもできるんですよ。ただやらないだけだと思います。やりたいとは思わないですけどね。(笑)

10年後の夢は球団オーナー。

ご自身がマルチ経営されてる分岐点やエピソードは何かありますか?

そうですね、分岐点はやっぱりいつもあって、恩師から言われたのは「自分で選びなよ」って。最終的には自分の人生なんだから自分で選べば言い訳にならないと。

久しぶりにちょっとBCリーグ当時の手帳を何書いてたかなと思って見直したんですよ。『人間万事塞翁が馬』て書いてあって。一概にその一つ一つの事象に対していい悪いっていう事をつけるんじゃなくて、最終的にどうなるかってのは分かんないんよね。っていうそのことわざがすごく良くて。なので何かいろんなトラブルや良い事がある。それもまた僕の経験値ですね。たまたま今日見たってことはたぶんインタビューで言いなさいってことなんだろうなって。(笑)

若い人向けにメッセージやアドバイスをいただけますか。

何でも1つすぐにやった方がいいかなと思います。

1つ行動するとその結果が起きるので、うまくいったりいかなかったり。それで止めてしまうと本当に失敗になってしまうので、「その次に何するか」っていうのもこの繰り返しだと思うんですよね。

本当に成功しかないと思っているので、立ち止まって止めた瞬間が失敗だと思っています。
立ち止まらない。立ち止まりさえしなければもう成功しかないよって。

何か本当にしたいのであれば一歩踏み出して結果を出す事。

その明確なゴールのイメージと、一歩踏み出す事をし続けるって事をやれば必然と目標だったり夢っていうものが手元に来るのかなと思います。
本人がそれが必要だと思ったら突き進めばいいと思ってるんで、若い人にはぜひブレないでほしいなと思いますね。

中山社長がブレずに突き進む姿を見て、自分も同じように進んでみようと思う人も居ると思います。

セカンドキャリアの部分で道しるべになりたいなと正直思っています。

誰か何かをやるときに誰かが道を作らないとなかなか次に行く人ってのは行きづらくなる。大谷翔平くんが今回二刀流をやったことで、二刀流がアメリカや世界を含めて出てくるので、いつかあの記録って塗り替えられると思うんですよね。でも、最初に作ったっていう功績が素晴らしいと思いますし、またそれに対応したリーグも凄いと思うんですね。なので、その一歩目っていうのを作る人に、僭越ながらなれればいいなと思っています。

野球やスポーツを辞めた人でも、キャリアアップってできるんだよっていうところの先頭は切っていきたいかなと思ってます。

中山社長は今後も様々な人の道しるべになる取り組みをされていかれると思うのですが、その体力や耐久力は野球で培ったっていうことですかね。

そうですね。でも、僕はもうあと10年で辞めるって決めてるんで。

今の社長業を?

はい、50歳で辞めるつもりなんです。球団を買ってそっちのオーナーでただ野球を毎日ずっと見てるっていうのだけが、僕のあと51からの仕事なんです。っていうのを決めてるからこそ、今千本ノック受けて、経験値を若い子達に落としたり、もし社長やりたいんだったら俺の会社やればいいって渡してあげようと思ってるんです。

今も実際、僕の下で働いている子達に譲るからっていう大前提でやらせてるんですよ。僕の経験値で活かせる人脈とか営業とか戦力部分で使えるんだったら使えばいいって形でもうやってるので。それだけの使えるだけの人材にならなきゃいけないので。だから人よりは多く学んで経験をして行動してっていうところですかね。

それだけの頼れる人材であれば、僕の会社に入ってもいいって言ってくれる人って増えてくると思うんですよ。ベースもある程度しっかりしてるし、新しいことやりたければその中で新しいことやればいいってなるんで。

僕がやってきたことはどんどんどんどん継承できるんで面白いかなと思います。

野球で培ったバイタリティが発揮されていますね。計画を聞いてワクワクします。

一般の方でも、スポーツやってる方のエネルギーってやっぱり強いと思うんですよ。僕自身がそうだったんですが、社会に出た時にどういう風に転化していいのかよく分からないまま仕事をしてた時期もすごく長かったので。そういう意味で、後継をするために今この会社に行って学んでもらって、研修スキームがあった上でちゃんと経営者になっていくとか。そういう道をうまく何かつくれたらおもしろいなと個人的にすごく思ってます。期限が決まってるんでね、頑張りたいと思います。なんとなく生きる気がないんで、もう1日1日大事に生きてますよ。

インタビュー:2022年10月

Information

株式会社ヒカリ食品 五泉市の良質な水と新潟県産のコシヒカリで作った、レトルトおかゆの専門メーカー。
日常的に食べられる「白粥」の他、季節限定の「七草粥」や「桜粥」などラインナップは多数。近年は災害時や病中病後の食事の観点から、長期保存ができるお粥の需要も増えている。商品は百貨店やスーパー、ECサイトから購入が可能。

〒959-1803 新潟県五泉市下条88番地
TEL: 0250-43-5611
FAX:0250-43-5600
URL:https://hikari-shokuhin.co.jp

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