NEXT NIIGATA

NEXT NIIGATA

column 11

天領盃酒造株式会社2021.06.15

世界に誇れるような
場所を、自らの手で。

2018年。新潟県の佐渡島に、突如として「史上最年少蔵元」が誕生。24歳の若さでM&Aによる事業承継を行い、まったくの未経験から日本酒の世界に足を踏み入れた加登仙一社長。彼はなぜ酒造りを始め、何を為そうとしているのか。その生き様からは、今いる場所に誇りを持ち、向き合うことの大切さが見えてきた。

加登 仙一(かとう せんいち)1993年生まれ。千葉県成田市出身。国際空港のすぐそばで育ち、自然と海外文化への興味を募らせる。その後、法政大学在学中のスイス留学をきっかけに日本酒の魅力に目覚め、2018年、新潟県佐渡市にある天領盃酒造株式会社の経営権を取得。代表取締役となる。

異国の地で、日本文化への興味が開花

ずは、加登社長と日本酒とを繋いだ、原点となるエピソードをお聞かせください。

あれは大学2年生の頃、スイスに留学していたときのこと。仲間たちと交流する中で、あるとき、それぞれが自国のお酒について自慢し合う機会があったんです。ワインやウイスキー、テキーラといった具合に、お酒への愛を語る仲間たちは当然、僕にも「日本の酒はどうなんだ」と聞いてきました。

で、まぁ正直なところ……「美味しいと思ったことがない」と。製法、種類の違い、どんな土地で造られるのかなど、色々聞かれたんですが、詳しいことは何も知らなくて。銘柄へのこだわりもなかったし、取り立てて飲みたいと思ったこともない。率直にそう伝えたところ「お前、自分の国に対する誇りはないのか」と言われてしまいました。

それで、何というか……ちょっとカチンと来たんですね。「そこまで言うならトコトン調べてやる」と思って、日本の文化やお酒の勉強を始めたことが、今こうして日本酒造りに携わっている僕の原点になっています。

日本酒のどういったところに心惹かれたのですか?

調べてみると、日本酒は「並行複発酵」と言う手法を用いて造られていることが分かりました。「デンプンの糖化」と「アルコール発酵」というふたつの作用が、ほぼ同時に進むのが特徴です。

糖化を行わない「単発酵(ワインなど)」や、糖化と発酵が順番に進む「単行複発酵(ビールなど)」と比べても、複雑な醸造技術。日本酒とは、世界にも類を見ない高度なお酒のひとつだったんです。

スイス留学で出会った仲間たちに、きちんと誇れるものだったと後から学んだのですね。

それに、お酒というのはいつの世も「人と人を繋ぐためにある」といいますか。会食だったり、宴会だったりっていうのは往々にして「お酒の場」なわけです。そしてきっと、それはどの国でも共通のこと。だからこそ彼らは、相手の文化的背景を理解すべく、熱心にお酒の話をしていたのかなと、分かった気がしたんです。

実際、その国のお酒について知るということは、特有の気候風土や生産活動への理解にも繋がります。それが結果として、自国の文化への誇りを生むのかもしれませんね。

ええ。ところが、さらに調べていくと、日本酒の消費量は年々減少しており、酒蔵も同様にその数を減らしていることが分かりました。なにより、とりわけ若い人たちの間で、日本酒がちっとも流行っていないことが見えてきたんです。

思えば学生時代、日本酒を好んで飲む人は周囲にそう多くいませんでした。僕自身もそうでしたしね。でも、日本酒の魅力に触れるうち、そうした現状をどうにかできないかと考えるようになり、それを仕事にしたいと本気で思うに至りました。

どこかの酒蔵に就職するという選択肢もありましたが、「若者から若者へ、日本酒の魅力を広める」という目標を達成するためには、早いうちから裁量を持って行動する必要がある。そのためには、独立して自分自身が先頭に立つべきだろうと考えたんです。

なるほど。しかし、卒業後は新卒で証券会社に入社されていますね。

それは、法的な問題に直面したためです。自分で酒蔵を始めるとしたら、絶対に必要なのが酒造免許。ところが、日本酒業界がドンドン衰退している今現在、日本酒の免許は新たに取得することができないんです。当時、大学3年生だった僕としては完全にお手上げ。それ以上打つ手もなく、就職活動の時期を迎えてしまいました。

それなら、いつの日か日本酒造りを始めるため、今できることをやろうと考えまして。世の経営者たちの考えや、独立するためのノウハウを知りたい。また、経済・財務の分野について勉強しておきたい。そういった理由から、まずは証券会社に就職することにしたんです。

熱意と行動力で道を切り拓く

就職先で、今日に繋がる学びを得ることはできましたか?

はい。今こうして、思い描いた通りの仕事ができているのは、証券会社時代に出会った方々の導きがあってこそだと思います。新卒の営業マンとして多くの企業経営者とお会いし、ときには「将来は酒蔵をやりたいんです」と相談させていただくこともありました。

すると、ある方から「免許が取得できないのなら、既存の経営権を買い取るという手段がある」とアドバイスを受けまして。突然、目の前に道が拓けたようにハッとしました。さっそくM&Aのサイトをチェックし、売りに出されている酒蔵をリサーチ。休日を利用して現地に視察へ……という生活をしばらく続け、全国15〜6ほどの酒蔵を巡り歩きました。

それぞれ様々に特徴のある酒蔵から、天領盃酒造を選んだ理由は?

当時はまだ、酒造りの何たるかも、設備の良し悪しも分からないものですから、僕の能力で判断できる唯一の要素「財務内容」を徹底的にチェックしました。証券会社での学びを活かして自分なりに精査し「どこが一番、自分のやりたいことに最短距離で行けるだろうか」という観点から選んだのが、新潟の天領盃酒造だった。ですから、佐渡の米が良い、水が良いといった理由で選んだわけでは、実のところないんです。

それでは、加登社長が佐渡にやってきたのは、全くの偶然なのですね。ところで、実際にM&Aを実現させるまでには、途方もない苦労があったのでは?

そうですね。一番苦労したのはやはり資金調達。当時24歳の僕に、企業ひとつを買い取れるようなお金が捻出できるはずもなく、どうにか融資を受けるために奔走しました。まずは自分なりに事業計画書を作って、銀行に持って行くところから始めたものの、最初は全くと言っていいほどお話になりませんでした。

それでもめげずに、あちらこちらで当たっては砕けをくり返していると、あるとき一人の銀行員さんと話ができて、ちょっとだけアドバイスをもらえたんです。事業計画の基本的な作り方みたいなところから、佐渡という土地の特性を踏まえているか、国の政策をきちんと織り込んでいるか……など。

他にも、いろんな立場の方にいろんな意見をもらいながら、少しずつ内容をブラッシュアップしていきました。その過程が一番苦労しましたが、同じくらい楽しさもあったと思います。

粘り強い交渉の末に、融資を取り付ける決め手となったのは?

最終的には「熱意」だと言われました。紆余曲折の末、ついに融資をしていただけることが決まった後、担当者の方に聞いてみたんですよ。あれだけ駄目だ駄目だと言われ続けてきたのに、通しちゃって大丈夫ですかねって。

そうしたら「神奈川と佐渡を何回も往復しながら、事業計画を修正し続けてきた姿勢。この地に根を下ろして、会社を経営していくんだという本気度。そういった熱量に応えたいと思った」というようなことを言っていただけたんです。

もちろんビジネスですから、やる気一辺倒ではどうにもならない部分もありますけれど、計画は計画でキチンと練った上で、それプラス「姿勢」とか「熱意」といった部分で、少しでも人の心を動かすことができたんだなと実感したこと、今でもよく覚えています。

信念のもとに、利益体質を刷新

そうして天領盃酒造の新たな経営者となった加登社長。新体制での日本酒造りを始める上で、どんな取り組みを?

最初の仕事は、それまでの天領盃酒造のやり方を、抜本的に見直すこと。これは無駄だと判断したものは、片っ端から改善していきました。長く勤めてきた社員の皆さんにとっては、大きな痛みを伴う変化だったと思います。それでも「ついてこれないと思う方は、辞めてもらっても構わない」という話もした上で取り組みました。

それを受けて転職される方の他、定年退職される方なども当然いるので、新入社員も随時採用。去年は新しく3名が入ってきてくれました。全員20〜30代で、Twitterやメールで直接「働きたいです」と問い合わせて来てくれた方もおり、社の雰囲気もグッと活発になったかなと。

この3年間で、方向性の変化などはございましたか?

もちろん、当時の事業計画書を読み返すと「何も知らないからこんなこと書けるんだよ」という、ずいぶん無茶のある内容だったりもするので、そういった箇所については都度修正しています。

ですが、根本的な部分。僕がこの世界に入って成し遂げたいと考えていたことについては、何も変わっていません。まだまだ理想とする酒質には程遠い状況ではありますが、そこへ向けて着実に、一歩一歩進むことはできていると感じています。

そうした試みのひとつの結実として、「雅楽代(うたしろ)」のご紹介をお願いします。

「雅楽代」は、元号が平成から令和に変わったまさにその日、2019年5月1日に発売したお酒です。僕が天領盃酒造の代表になった3ヶ月後、2018年6月頃から開発を進めていました。

いろんな人が一緒に過ごす時間を、その空間を、人と人の関係を、うまく回してくれるお酒。主役は飲み手であって、お酒はあくまで脇役。だから派手な香りも、インパクトのある味わいもいらない。本当にただ綺麗で、穏やかで、軽い、そんなお酒を目指しました。

名前については、天領盃酒造の所在地である土地の歴史に着想を得ました。「加茂歌代」という地名は、かつて佐渡島に流刑とされた順徳天皇にルーツがあるらしく、天皇に歌を詠んだ島民が、褒美に土地を与えられたとの言い伝えが残っているんです。

その土地は「歌の代わりに授かった地=歌代(うたしろ)」と呼ばれ、また土地を得て豊かに暮らした人々は「雅で楽しい代(とき)=雅楽代(うたしろ)」を名乗ったといいます。この言葉が持つイメージと、僕が思い描いていた「楽しいひと時を演出するお酒」という新商品のイメージが、自分の中で見事にマッチしたため、新ブランドの名称に拝借しました。

既存の銘柄については、どうお考えですか?

もちろん、昔からの定番銘柄「天領盃」も健在です。ただ「昔ながらの味を一切変えずに残す」つもりは、正直あまりないんです。前提として天領盃酒造は、経営難からM&Aを経てリスタートした酒蔵ですから、現状維持では先に進めないはず。ちょうど今年からは、「雅楽代」と共に「天領盃」もリブランディングして、刷新したいと考えています。

自分が今いる場所に、もっと誇りを

加登社長が見据える、今後目指すべき目標についてお聞かせください。

そうですね……。まずは「留学していたときに僕を焚きつけたメンバー全員に、僕が造ったお酒を飲ませる」こと。そして、あの頃は伝えられなかった「日本酒とは」「日本文化とは」という話をして……。ああ、ついでに「どうだ、俺の酒美味いだろ」と言ってやりたいですね。

会社としての話をすると「キチンと人を休ませる」こと。昔の酒蔵には「冬場はずっと休みなし」「泊まり込みで働きっぱなし」ということもあったようですが、今はそんな時代じゃありません。従業員のワークライフバランスを考えても、造れるだけ造ればいいというものでもありません。働いてくれる方々が「楽しい」と思える環境でなければ、会社は長く続かないし、僕自身も楽しいとは思えない。

現在、蔵としての規模は400石(一升瓶4万本)程度で、徐々に増えてきてはいるんですが、これを1000石(一升瓶10万本)以上には拡大しないと決めています。小規模・少人数で、健全に仕事を続けていける企業を育てるのが、僕の目標であり、役割です。

では最後に、若い世代の読者へ向けてメッセージをお願いします。

新潟の若い人と話をすると、とにかく大都市で働きたいという声をしばしば聞きます。その心理はよく分かるんですが、ひとつ気になるのは……。「大都市>地方」という、劣等感にも似た意識。自分の今いる場所をそこまで卑下する必要が、果たしてあるのかなって。

2020年、天領盃酒造は「二才の醸」の造りを受け継ぎました。これは、世代交代をしながら常に20代の蔵元が造り手となる特殊なブランドで、我々は4代目にあたります。

僕は「二才の醸」の新作を造る上で、タイトルを「metropolis(都会)」と「the provinces(田舎)」とし、対になるふたつの酒を造ってみたんです。ラベルにも、海を挟んで分かれる大都市と地方の光景を描きました。真ん中には港があり、まだ社会に出たばかりの20代が、荒波を越えて辿り着く先は大都市でも、田舎でも構わない。

さらに言えば、「どこかに自分のステージを見つけにいく」だけじゃなく「今いる場所に自分のステージを創り上げる」という選択肢にも目を向けてほしい。そんな願いを込めています。

ちょっと長くなっちゃいましたが、20〜30代の新潟の若い人たちには、もっと「今いる場所の魅力」を自分なりに見つめ直してほしいと感じています。まさしく僕が、スイスで日本の魅力に気付かされたように。

今いる場所に自信を持って、外にドンドン発信して、こうして新潟にいるということを、もっと皆に自慢できることに育てていきませんか? 僕自身もその一端を担えるよう、新潟の人たちが自慢できる地元の酒蔵になれるよう、頑張ってまいります。これから是非一緒に、新潟を盛り上げていきましょう。

インタビュー:2021年5月

Information

天領盃酒造株式会社

日本海側最大の離島、佐渡島にて地酒造りを行う酒蔵。名峰・金北山の雪解け水と、佐渡産の酒米を活かした酒造りが自慢。事業承継を経てスタイルを刷新した現在は、小仕込みによる緻密な温度管理・原料処理など、ほぼ手作業での造りにこだわっている。

〒952-0028 新潟県佐渡市加茂歌代458
TEL:0259-23-2111
URL:https://tenryohai.co.jp/

【 Recommend 】