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column 1

ナミックス株式会社2020.09.01

“新しいもの”へのチャレンジ――
常に「最先端」の一歩先へ。

PC・スマートフォンなどのデジタル家電から、交通・電気・ガス・水道といった社会インフラまで。エレクトロニクスは、現代の日常生活をあらゆる形で支えている。その最先端に貢献し、エレクトロケミカル材料分野において「世界標準」と認められたリーディングカンパニー「ナミックス」のルーツをたどる。

小田嶋 壽信(おだじま としのぶ)1968年生まれ。東京都出身。法政大学経済学部卒業後、SMK(株)を経て、1997年ナミックス株式会社入社。2006年、代表取締役社長に就任。「Small but Global」をモットーに、規模の拡大よりも本質の深化にフォーカスした企業づくりを目指す。休日は二児の父として、自転車の練習、砂浜でのスナガニ探しと大忙し。

刷毛で塗るペンキから電子塗料へ

まず、御社の事業内容と沿革について教えてください。

1946年、私の祖父が新潟で立ち上げた塗料メーカー「北陸塗料」が始まりです。戦後復興期の日本に塗料を供給したいという思いのもと、初めは順調だったようですが、インフラが整うにつれて競争が過熱したんですね。

芳しくない状況の中、ある電子部品メーカーのこんな声を聞きつけます。「輸入に頼りきりの電子部品コーティング材料(防湿剤)を国産化できないか」と。当時、そのコーティング材料は日本語で「電子塗料」と呼ばれていたため、「同じ塗料だったらできるんじゃないか」という短絡的な考えがあったようです(笑)。

新潟地震直後の写真。小田嶋社長の祖父であり、創業者の壽明氏(写真右)。

研究開発への転換を機に、電子部品用材料へと徐々にシフトしていき、1980年には一般塗料の取り扱いを全てストップ。エレクトロニクス用途に特化するようになりました。現在は電子部品用、半導体モジュール用を中心とした導電・絶縁材料を、ここ「ナミックステクノコア (R&Dセンター)」で開発し、工場で生産、販売しています。

小さい頃は、家業のことをどのように考えていましたか?

祖父がやっていた頃は幼かったので「北陸塗料って名前なんだから塗料屋さんなんだろう」程度の認識でしたね。ただ、後を継いだ父がしばしば海外出張に行ったり、海外のお客さんを家に招いたりするのを見て、手広く外国と商売をしていることは肌で感じていました。

でも、実際に何をやっているのか理解しはじめたのは10代の半ば。それまでは、自分でも家業のことを上手く説明できなくて、友達に「お父さん何してるの」と聞かれたときなどは、めんどくさいので「ペンキ屋」と答えていました。

ご自身がその三代目となることについては?

今でも覚えているんですが、小学校6年生の頃に祖父がある本をくれたんです。タイトルが「危ない三代目」っていうんですけど(笑)。どうやら「初代が企業を興し、二代目がそれを継承し、三代目が食いつぶす」みたいなストーリーって一般的に多いらしく、そうならないよう読んどけ! みたいな感じで。

当時は漠然と、後継ぎよりも「自分のしたいこと」がしたいなって思っていたんですが……紆余曲折ありまして、大学卒業の頃には本格的に事業承継を決心。3年ほど別の会社で修行をした後に、北陸塗料へ入社しました。

北陸塗料が「ナミックス」へ社名変更したのはいつ頃?

私が入社する前年の1996年、創業50周年を迎えた年です。その頃にはもう、事業内容が一般塗料ではなかったというのもあり、今後一層の飛躍をするべく社名を変更したいと先代が考えまして。当時の父は家に帰ると、ものすごく頭を悩ませていました。我が子に名前をつけるのと同じような気持ちだったんでしょう。

ナミックスという名前には、弊社の経営理念が込められています。『Nature & Art (自然と人間の共存共栄)』『Mutual prosperity (相互の繁栄)』『Innovation (革新性)』『Creativity (創造性)』『Sensitivity (感受性)』という、社是に使われているような単語の頭文字をつなげて『NAMICS』。

と、ここまで説明すると皆さん「なるほど」と言っていただけるんですが……当時「〇〇ックス」みたいな、カタカナの社名って他でも何かと流行っていたようで。父としても、それがずっと気がかりだったみたいです。最後の最後まで「これでいいのか、どうなのか」と悩んでいましたね。

想像もできない未来へと歩み続ける

三代目社長に就任した時のお気持ちをお聞かせください。

社名の変更から十年後、36歳の年に家業を継ぎました。先代はずっと「老害にはなりたくない」と話しておりまして、私の入社から社長交代までの計画を前もって立ててありました。ですから、就任時にはさほど慌てることはなかったです。

違和感を覚えたのはむしろ就任してからですね。それまで散々「何でこんなことをこういう風に決めないの」という調子で先代を煽っていたくせに、いざ自分がその立場になってみると、些細なことも決められなくなってですね。

判子ひとつ押すのにも「待てよ、これをこうしたらああなって……」と考えてしまって、ちょっとしたことでも決断できなくなった時期がありました。就任するまでは感じなかったプレッシャーが、一気にのしかかってきた感じですね。

小田嶋社長にとってお父様は「反面教師」だったようですが、唯一、お二人の意見が一致したエピソードがあるのだとか。

ああ、新しい研究所の設計コンペをやったときのことですね。当時の役員5〜6人を審査員として、一番得点の高かったデザイン会社に設計をお願いしようという話だったんですが、最終的に採用された案に対して票を入れたのが、先代と私だけだったんです。他の方々は別案を推してたんですが、まぁ……社長と会長が「これがいい」って言っちゃったら反論できる人、あまりいなくて(笑)。

コンペの際、デザイン会社の皆さんには「自分たちが将来こうなりたい」であるとか「こんなことを考えたい」などのコンセプトをぶつけたんです。それで挙がってきたアイデアはどれも良い出来でしたが、(採用になった)このデザインだけは、なんと言うか……完成形が想像できなかったんですよ。

でも「”開発する”とか、”新しいものを生み出す”ってそういう(想像もできないような)ことだよね」っていう考えが、たまたま先代と一致しまして。それで「この案だ!」って二人が意気投合したら、もう誰も逆らえず……そのまま押し切ったっていう話です。

近未来的なデザインのR&Dセンター「ナミックステクノコア(新潟市北区島見町)」。
日頃は反発し合うことがあっても、根底には共通の思いがあった……ということでしょうか?

うーん……「チャレンジャー」っていうとなんか格好良く聞こえますけど、要するに「新しいもの好き」ですよね、小田嶋家は。新しくて良いものはどんどん取り入れたいっていう性格は、親子三代で共通していると思います。

企業を興した初代も、今の形に仕向けた先代も、時代の波に乗せるように組織の形を少しずつ変えてきました。ですから、もう今年で創業74年になりますけれど、老舗企業というイメージはないですよね。よく第二創業・第三創業なんて言いますが、そんな風に自分たちを絶えず一新していくってことを、ずっと繰り返しているんじゃないかな。

第二創業・第三創業を実現するための秘訣はありますか?

新しいものを生み出すときには、やっぱりある程度の投資が必要です。もちろん限界はありますけれど、先行投資を渋ってしまっては良い結果もついてきません。仮に自分たちが何かを成し遂げたのだとしたら、それは過去に必要な投資をして、現在に至るまで努力を続けてきたことの結果だと、私は思うようにしています。

全てはよりよい暮らしのために

今後の目標について教えてください。

常に根本にある目標はただひとつ、「いい会社にしたい」ということ。いい会社というのはつまり「そこで働く社員が幸せを感じられる会社」ですよね。

幸せのあり方はひとり一人違います。たくさんお給料が欲しい人。自分の時間をちゃんと持ちたい人。他にも、例えばうちのような職場なら、心置きなく研究に没頭できるのが幸せな人とか、いろんなタイプの方がいますよね。

社員みんなを広く支えるためには、まず会社が健全な姿で存続していくのが第一義。「いい会社にすること=幸せ」ではありませんが、ひとまずはそれぞれの価値観の落としどころとして、みんなで会社を継続成長させていこうよ、という風に社員には伝えています。

「いい会社」を実現するための、具体的な取り組みとは?

地域貢献のお話を例に挙げると、「青少年のための科学の祭典」というイベントに出典し、子どもたちに実験の面白さを伝える活動をしています。近隣の学校から依頼を受けて、中高生向けに科学の出張授業を行うこともありますよ。

「科学の祭典」の様子。紫外線で液体を固める実験などを行う子どもたち。

私共には県内顧客がほぼおりません。ですから、どうしても地域と関わっている姿というものが目に見えにくいんですね。しかしながら、地域貢献っていう企業の行為は、ひいてはそこに勤める社員の誇りにもつながると思っているので、いっそう積極的に進めています。

近年では、保育事業に参入したとか。

社員がより良い状態で働ける環境を整えたいということで、ずいぶん前から構想はあったのですが、2016年にようやく保育園の開業が実現しました。今は園児が80名くらいいまして、その半分強は社員の子どもたちです。

ビジネスとして考えているものじゃないので、あまりお金を惜しまずに色々やってるんですよね。評判はすごくよくて、地域の子どもたちとか、預けてくださってる保護者の方々にも感謝の言葉をいただいたりしています。

園児の健やかな成長を促す「えびがせ保育園アミック(新潟市東区海老ヶ瀬)」。

私も結婚してようやく実感しましたが、人はまず無事に家庭を運営できて初めて、仕事にも精が出るんだな、と。家庭に問題を抱えていたら仕事にも悪影響が生じますし、逆に、家庭を省みず仕事だけされても困ります。

個々人が、日常生活に関して後顧の憂いを残さずにすむよう、収入UPはもちろん、保育だけでなく介護の面でも、少しずつ会社が力を貸してあげられるようにしたいと思っています。

実践することでしか得られないもの

若年層の読者へ向けて、メッセージをお願いします。

正直に言うと私、若い頃は新潟を田舎だと思っていたので、20代の頃は戻りたくなかったんですね。やはり都会には、新潟では見られないものが結構ありますから。そういう部分に興味のある若い人に、新潟のよさを理解しろってのは、私はなかなか難しいと思っています。

ただ、新潟どうこうに限った話ではありませんが、若い人たちに私がよく言うのは、インターネットの発達で「見ただけ、読んだだけで知ったような気になっている人たち」が増えたよね、ということ。

新潟のよさに関しても、結局のところは住んでみないことには分からない。食にしろ、文化にしろ、新潟の面白い企業だとか、他ではできない体験にしたって、来てみて実感しないと分からないことばかり。ですから、言えることがあるとすれば「一度は新潟に遊びに来てみてください」っていう感じになるのかな、と思いますね。

エレクトロニクスの分野で働きたい読者向けに、御社のPRを。

弊社は、技術者をはじめとする全ての従業員にとってチャンスがいっぱいある会社だと思っています。若い頃から学会で発表ができるだとか、会社内だけでなく、外に向けた機会を常に設けている会社ですので。

研究所の設備に関しても、一部上場の同業他社と比較したって引けを取りません。ある分野に限っていえばうちが勝る部分だってあるので、開発者・エンジニアにとっては天国のような環境だと思っています。

自分の可能性を広げられる「いい会社」だという風に思っていますので、自分を試したい、自分を成長させたい研究者にはぜひ、来てほしいなと思いますね。それ以外の職種についても、挑戦・成長の機会が多数あるのでぜひ興味を持って見てほしいと思っています。以上、簡単な紹介ではありますが、もし興味がありましたら、別途、弊社HPなどへいらしてください。

インタビュー:2020年7月

Information

ナミックス株式会社主な事業は電子部品に用いる絶縁・導電材料の研究・開発・製造販売。エレクトロニクス分野の先端企業として、半導体向け液状封止材では世界シェア40%を誇る。2015年「グッドカンパニー大賞」グランプリを受賞したほか、2020年「グローバルニッチトップ企業100選」にも名を連ねる。

〒950-3131 新潟県新潟市北区濁川3993
TEL:025-258-5577
FAX:025-258-5511
URL:https://www.namics.co.jp/

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