株式会社NKSコーポレーション2024.11.15
清掃業の変革。
変わらないサービスを、新たな視点から。
NKSコーポレーションの旧社名は「新潟管財」。創業から60年、建物のメンテナンスを請け負い、利用者に変わらないサービスを提供してきた。当たり前の心地よさ、快適な日常を支える一方で、近年は文化事業の企画や他業種への参入など、そのサービスの幅は拡がり続けている。
3代目の𠮷田社長は、「自分の仕事は、社員の能力を活かす場を提供すること」と話す。裏方に徹する考えを持ちながら、変化も挑戦も柔軟に受け入れるマインドについて、話していただいた。
𠮷田 琢哉(よしだ たくや)1984年新潟生まれ。幼少期に東京へ移り住み、学生時は建築を学び大学院まで進学。現業務の中では、外国人の積極的な採用、人とロボットが清掃を行う「ハイブリッド清掃」の導入など、新しい取り組みを柔軟に取り入れ、業界全体の人手不足解消や効率的な業務進行を目指す。
建物とともに歩んだ60年。
NKSコーポレーション様の事業内容と、沿革をお願いします。
事業内容は大きく3つあります。メインとしているのはビルメンテナンス業。建物の清掃、設備の維持管理、人的警備などを行っています。
その次が指定管理業務。今まで官公庁が管理していた公共施設の運営から建物の維持管理まで全てを担うのですが、文化施設に限定して担当させていただいています。 三つ目は、弊社の方で管理している物件が数件あるので、その管理ということで不動産事業をやっています。ビルメンテナンス業と、あとは文化施設の指定管理業務と、不動産の3本柱ですね。
メインとなるビルメンテナンス業ですが、どういったお仕事でしょうか。
内容は様々ですが、主に行っているのは清掃です。日常清掃から定期清掃までが業務の大半を占めています。その次に設備に関する業務。常駐で維持管理を行ったり、保全業務、保守業務などを行います。その次に多いのが警備業務です。弊社の場合ですと人的なケースがほとんどで、常駐警備が主な業務です。
創業からビルメンテナンスをされていたのでしょうか。
弊社の旧社名は「新潟管財」というのですが、初代は見附の出身なので、元々は織物やミシンを売っていたんです。そしてミシンを普及させるために織物の学校を作ったりして、ある程度の収益を得ることができました。
しかし、ふとした時に「このまま織物を続けていくのか、他のものにチャレンジするのか」と考えたそうです。そこで単身、1年間だけ東京に出て、ビルメンテナンスと不動産事業を勉強しました。戻ってから家族と話し合った結果、「これからは建物もどんどん立つだろうから、ビルメンテナンス業でいこう」と決まったそうです。
そういった経緯で、ビルメンテナンスを主軸とした企業として「新潟管財」がスタートしました。ちなみに創業したのは新潟ではなく東京なんですが、我々一族が新潟出身ということもあり、“新潟”を冠する社名となっています。
初代はなぜビルメンテナンスに目をつけたのでしょう。
実は、その事についてははっきりと聞いていないんです。
当社は今年で創業60年になるんですが、60年前って新潟地震が起こった年なんですよね。東京でスタートして、その翌年に新潟地震が起きて、「新潟の復興のために何かできないか」という思いから、新潟に支店を出しています。
あと、新潟地震があった昭和39年は、東京オリンピックがあった年でもあります。もしかしたら、戦後日本の復興と発展の勢いで次々と建物が作られる様子を見ながら、ビルメンテナンスの需要を感じたのかもしれませんね。
社名を変えるきっかけは何だったのですか。
ちょうど指定管理業務がスタートした年に、九州の方にも進出したんですが、その時クライアントの方から、「九州に来るのに『新潟管財』ってどうなんだ」って話が上がったんです。
それをきっかけに社名を変える流れとなり、新潟のN、管財のK、サービスのSで「NKSコーポレーション」に切り替えました。ですが、新潟・東京のお客様は未だに「管財さん」と呼んでくださる方が多いですね。使い分けている訳ではないですが、長年掲げていた社名でもあるので、今でも使っています。
心地よい日常を支える、裏方業。
清掃業務というと、「きつい、汚い、危険」というイメージを抱かれがちですが、業界ではどのように捉えていますか。
いわゆる「3K」ですよね。清掃という業務内容から、昔ながらのイメージをゼロにするのは難しいと思いますが、同業の企業さんも、試行錯誤しながらイメージアップへの取り組みを絶えず行っています。
本来私たちの仕事って、裏方として施設の利用者様を陰ながら支えていく事なんですよね。だから表に出過ぎたり目立ってはいけないんですが、かといって一切姿を見せないわけにもいかない。そういう、難しい存在なんですよね。
私はその為に、まずは“挨拶”と“身だしなみ”が重要だと思っています。私たちの身なりや服装から施設のイメージをダウンさせないとか、不快に感じさせないとかですね。従業員の方々には、その点を根本から理解していただかないと、本来の清掃業という仕事は成り立たないんじゃないかと思います。
世間のイメージと業務の負担でギャップのあるお仕事ですが、従業員の方はどのように考えられていますか。
この業界ではどうしても高齢の方が多くを占めてしまうんですが、私たちの会社の場合、1番若い社員が18歳、最高年齢が88歳。平均年齢が62歳なんです。新しいスキルを身につけたり覚えたりするよりも取り組みやすい仕事で、身体を動かしながらお給料をもらえるという部分では、特に高齢の方達は、やりがいを持ってくださる方が多くいらっしゃいます。
高齢の従業員を多く雇用される中で、気を付けていることはございますか。
これから取り組みたいものの一つに、「働きながら健康になる」というものがあります。将来、最低でも70歳まで働かないといけない時代になると言われていますよね。清掃業は高齢であっても適度に身体を動かすことによって健康を維持できると思いますし、いかに怪我をせず継続するかを両立できれば、今後求められるニーズに、お応えできるのかなと感じています。
今後、業界で変えていきたい部分はございますか。
将来的に、ビルメンの仕事は極端に増えることはないと思います。なので、今のビルメンを主軸として、新たな事業展開を模索しているところです。そのためにも、今いる従業員との出会いの中から、いいきっかけとなる芽があれば、それを生かしていきたいと考えています。例えば、「ある人は飲食の技術に長けている」というのであれば、全く違う業種かもしれないけれど、その人を中心に飲食業をスタートさせてみるとか。
現在弊社には従業員が1000人近く所属しているんですが、自分は「社長として何ができるか」と考えたら、従業員一人ひとりの能力を発揮できる場を作ることだと考えています。
もちろん、社員全員が持ち前の能力を発揮するって難しいですが、新規事業に限らず、それぞれ長所と短所があるので、それらを踏まえて業務にマッチングしていくことが、私たち管理する側の重要な仕事だと思います。
「指定管理業務」とは、どのようなお仕事ですか。
指定管理業務は、今まで官公庁が管理していた施設の維持管理や、施設を活用する事業を代行します。弊社は、上越・見附・北区・秋葉区で各1館、それと長岡の2館で、合計6会館を担当しています。
各市町村によって、その文化施設の役割も違うんですよね。席数などの規模により、与えられたミッションが異なります。そういった側面を理解しながら、また利用者のニーズをキャッチしながら、私たちが何のためにこの文化事業を進めていくべきなのかを、日々模索しながら業務に当たっています。
「施設を活用」とは具体的にいうと。
私たちが定期的に行っているのは、音楽劇。いわゆるミュージカルの制作と公演です。最初に作ったのは、新潟市北区文化会館の主催で『春のホタル』という作品だったんですが、その時に作った曲は、現在でも北区の曲として歌い継いでいただいています。作品が良いものに仕上がればその地域の財産になりますし、市民の方々の交流のきっかけになる事が分かったので、これからも良い作品を生み出していきたいと思っています。
ミュージカルの企画から関わっているということですか。
その通りです。ストーリーから音楽まで全て作っていくんですが、もちろん私たちだけではできないので、外部のプロの方々に協力していただきます。原作には、地元のネタから脚本を起こしてもらうことが多いですね。そうすることによって、地域の方達は自分たちのものとして受け入れやすくなると思うので。
お金も時間もかかるんですけど、私たちの作る作品が地域の魅力創出・交流のきっかけづくりに繋がれば嬉しいですね。
どの業界も人手不足と言われていますが、人材の採用はどのようにされていますか。
人材の確保について何が一番いい解決策かはわからないですが、東京エリアでは人手不足解消として、外国人の方々の採用を進めていこうと取り組んでいます。
私たちが募集する人材って、一般的に言われる技能実習生ではなくて、一般ビザとか特定ビザで来た方達なんです。技能実習生の場合、沢山働いて多くの賃金を得たい方がほとんどなので、私たちが求める1日4時間のパート勤務には向いていません。一方で、一般ビザで来た方は働ける制限時間の中で労働できるところが、マッチするのかなと思います。
そういった方達の中で、「働きたいけど日本語が苦手」という悩みがあることも分かりましたので、外国語に堪能な人材を中心に、スムーズに雇用できる仕組みを構築しているところです。
現在、縁あって出会えた外国人サポーターは3名いまして、彼女たちを主軸に総勢60~70人程の人材のサポートをしてもらっています。知り合いの紹介もあるので、エリアによってフィリピン系が多いとか、ベトナム系が多いとか、個性があって面白いですよ。
新潟でも同様の仕組みで採用をはじめられているのでしょうか。
ようやく東京が安定してきたので、次年度以降ぐらいには新潟にも展開していきたいと思っていますが、むしろ新潟では清掃ロボットの導入の方を進めています。私が今考えているのは、ロボットと人間を使った「ハイブリッド清掃」です。正式に導入したのは今年からなのですが、現在は3つの現場で稼働しています。今後はロボットが人手の代わりに貢献してくれるだろうと期待しています。
ただロボットの導入に課題もあります。イレギュラーな物が置いてあると止まってしまうとか、機械警備に反応してしまったりするので、“人がいる時に清掃する”という点は、まだ変わっていません。しかし、弊社は清掃員以外にも、有人の常駐警備員や設備員も派遣しています。今後、清掃ロボットの動きに関して彼らが対応するようになれば、それらの課題もクリアできると考えています。
新しいシステムや働き方を柔軟に取り入れていますが、ビルメン業界全体も、変化の時期なのでしょうか。
今年9月に新潟県ビルメンテナンス協会の青年部会として、全国大会を開催いたしました。今年のテーマは「新たな発見と挑戦」でした。ビルメン業界でいかに生き残り、発展していくかを皆で模索していたところなので、まさに変化の時期なのかもしれません。これから益々人手が減ることが分かっているのであれば、我々も清掃の効率化を進めていく必要があると思います。
ただ、現場の状況に柔軟に対応し、判断や考察ができるのは、やはり私たち人間だと思います。もちろんロボットも使いながらですが、そういった新しい仕組みや気付きというものは、人の手と感性で作っていくことが大事なのだと考えています。
譲れなかった、建築への思い。
𠮷田社長の生い立ちと、子どもの頃の夢などありましたら。
生まれは新潟で、幼稚園の頃に東京に移り住みました。一浪して大学院まで行かせてもらって、就職する25歳ぐらいまでは東京にいましたね。
将来の夢については、中学校の工作の授業で、「自分の住みたい家の間取りを描いてみよう」っていう課題があったんです。その時に「なんか建築って面白そうだな」と思って、将来は建築の道に行きたいと夢を描いていましたね。
子どもの頃の夢の通り、建築分野を学ばれたのですね。
ところが、「建築系の大学を受験したい」と話したところ、初代からは反対を受けました。「すぐにでも会社に入れるように経営学部に行け」と言われて。でも、「建築はビルメンの役に立つし、他の仕事に比べて密接に関わってくる」と説得して、何とか許してもらえました。
そうこうしていたら、今度は大学院に行きたいと思うようになってしまって。そう話した時、2代目の父は賛成してくれたんですよ。うちの父は大学在学中から入社して仕事をしていたので、自分がやりたかった絵の勉強を途中でできなくなったという経験があるんです。だから、「今じゃないと好きなことできないから、ちゃんと勉強するならいいぞ」と言ってくれて、進学させてもらいました。
建築のどういった分野を専攻されましたか。
建築の設計です。その分野の中でも、BIM(Building Information Modelling)という、建物情報モデルを構築するシステムがあるんですが、3次元モデルを架空現実に建築することができます。その中で、例えば日照や風のシミュレーションができる、要はプラットフォームなんです。ですから、モデリングが1個出来上がってしまえば、建物の維持管理にも使えるんですよ。
今、我々がビルメンで大きな課題として抱えていることの一つが、「古い建物ほど修繕履歴がない」ってことです。つまり、配管の配置等は天井を開けてみないと何も分からないから、調べる為に余分なお金と時間をかけてしまうことが、よくあるんです。でも、BIMを使えば修繕履歴はもちろん、どこでどういった干渉が起きるか等も、全てシミュレーションで分かるので、今後BIMが普及していくんじゃないかって期待しています。
そのような中で、「いずれは家業を継ぐんだろうな」という考えとか、予感はありましたか。
そうですね。小さい頃から家族ぐるみで会社の方々と接しているのが日常だったので。家業を継ぐことに対しては抵抗感がなかったです。物心ついた頃から、「いつか継ぐんだろうな」と思っていました。だからといって、社長の息子とか、会長の孫って見られるのはやっぱり抵抗がありましたね。
私には現在、共同代表として東京にいる、2つ上の従兄弟がいます。彼の方が先に入社していますが、私が入るタイミングで「自分たちは現場のことを何も知らないから、まずは現場に入ろう」と話し合ったんです。両親からは反対というか、「それでいいのか」って言われましたけど、1ヶ月半ぐらい清掃設備の研修を受けて、その後、東京支店で現場管理の仕事をさせてもらって。その経験のおかげか、少しずつですが自分の中で抵抗感が薄れていった気がします。
自分の中にある違和感をなくすために、行動に移されたのですね。
違和感や矛盾を解消したかったと同時に、“社長の息子”というイメージを打破したい、という思いもありました。なので、なるべく社員の方と距離を縮めるように努力してきたつもりです。
それでも、会社の中には納得できない方もいるかもしれませんよね。だからこそ、常に気をつけるのは、「相手を尊重する」ということ。この業界は労働集約型で、現場の方々がいてくださるから、私たちが食べていけるんです。現場の方々を尊敬し、尊重するという考えは、常に持っておかなければいけません。
ですから、事務所にいるから偉いとか、経営者だから偉いとかではなく、現場も管理も皆がフラットだと考える。仕事の役割やポジションが違うだけなんだという認識でいたいと思っています。
視点を変え、夢と現在を繋げて見る。
𠮷田社長のように、能動的に行動していく為の心構えなどはございますか。
私は基本ネガティブな人間なので、常に最悪のシナリオを考えてしまうんです。ただ、動き始めてしまえば、もうどうしようもないので、やりながら楽しさを見つけていきます。そこが私にとっては大きいですね。
だから、なるべく「多角的に物事を見る」という意識を持つようにしています。これはデザインの分野に進んだ友人が、上司に言われたんだって教えてくれた言葉です。
当時、頻繁に飲み歩く私たちを見て、友人の上司は「お前らは生ビールをただのうまい酒としか思えないのか。ビールは“美味い”だけじゃなくて、“ジョッキにつく水滴が綺麗”とか、そういった視点で見ることもできる。色んな角度から物事を捉えられないと、デザインに奥深さは出ないぞ」と言ったそうです。
私はこの言葉を聞いた時、どの業界においても言えることだって思ったんです。なので、何かを始める時は本当に、色々な角度から物事を考えます。だからこそ落ち込むんですけど、最悪を考えておくからこそ、実際に動き始めた時には、ある程度気楽に物事が進められるのかな、と思います。
人生を楽しむための考え方や、キーワードがあったら教えてください。
実は、先ほどお話した共同代表の従兄弟と私で、「60歳になったら自分達のやりたいことをやろう。そこから第2の人生をスタートしよう」という約束をしているんです。だから、60歳に私たちが会社を退いても、全く問題ない状態にする事が、1つのテーマでもあります。
私は建築がやりたいので、理想というか夢は「終の棲家を自分で作る」ということです。従兄弟は元々、料理人になりたかったんですよね。お互い一族の繋がりからこの会社を経営してますけど、それぞれ夢を持っているんです。
なので、普段から社員を面談する時にも、「夢を持っているかどうか」を確認しますね。その夢を会社が叶えるという話ではなく、その夢を叶えるためのきっかけを得てもらえればいいのかなと思っています。やっぱり夢があるから、今が頑張れるじゃないですか。
それに、物事ってどこかで繋がっていて、無駄なんて多分、何ひとつないんだと思います。例えば幹部になったのであれば、この会社で人の管理を経験して、夢を叶える時に活かそう、という認識で身につけて欲しいし、そういった人間と働きたいと思っています。
20代、30代の方に向けた、メッセージやアドバイスをお願いします。
やるかやらないかで迷ったら、やった方がいいよって事でしょうか。やっぱり、やらなかった後悔ってずっと残るんですよね。でも失敗をしたのなら、次なるミッションや考えに繋がりますから。やらないよりはやった方が、確実に自分のステップアップになります。
私は「あの時にやっとけば良かったな」っていう後悔が人生の節目でいくつもあるので、皆さんはそういった後悔がないように、迷ったらまずやってみてほしいと思います。
最近ハマっているものだったり、余暇の過ごし方など。
趣味としてやっているのは、アクアリウムです。熱帯魚を飼ったり、水草を植えたり。水の入れ替えとかメンテナンスが大変なんですけど、でもそれがいいんですよね。日々の汚れを綺麗にする繰り返しだとか、少しずつ魚が懐いたり、水草が茂ってきたり。自分の思ったようにいかないこともあるんですけど、そうやって自分で作ったものをつまみに酒を飲むのがいいですね。
今年から海水の方も初めたんですけど、海水魚は大変です。魚は懐きやすいですが、お金もかかるし、塩水なので飛び散ると後始末が大変だったりとか。妻には「魚臭い」って怒られています(笑)。
𠮷田社長のお仕事である「清掃」と「建築」が、合わさったような趣味ですね。
言われてみればそうですね。私、幼少期はすごい内気な性格で、外で遊んだりせず、レゴブロックで遊ぶのがすごく好きだったんです。特に、いろんなシリーズのレゴをぐっちゃぐちゃに混ぜて、自分なりのものを作るっていう遊びが大好きでした。昔からもの作りが好きだったから、延長して建築に繋がったんだと思います。アクアリウムも、水槽の中で自分が描きたい風景を作る事が、やっぱり楽しいですね。
あと、ラーメンを作るのが好きです。コロナ禍でラーメン作りにはまって。ラーメンの麺は打たないですけど、麺以外のスープを作ったりとか。先ほど、従兄弟が料理人になりたいという話をしましたが、実はそれをきっかけに、東京支店の一角を改修工事しています。それも来年には完成すると思うので、キッチンカー事業を始めようと思ってるんですよ。
そのための施設…セントラルキッチンとまでは言いませんが、普段は従業員のための食堂、兼ミーティングスペース。で、キッチンカー事業が始まったら、そこを厨房として食事を提供していくというような、そういったスペースを作ろうと計画しています。完成したら、私はそこでラーメンを作って、売りに歩こうと思ってます(笑)。
インタビュー:2024年9月
Information
株式会社NKSコーポレーション1964年、「新潟管財」として東京で創業。新潟地震をきっかけに、故郷の復興を願って新潟支店を設置する。平成17年に現在の社名に変更。1000人の従業員と共に、施設の快適・安全な空間を、日々提供している。本社ビルに掲げている看板の社名は、𠮷田社長のお祖母様による書。
〒950-0914 新潟県新潟市中央区紫竹山2-5-40
TEL : 025-290-5800(代)
URL:https://www.nkscorp.com/company/