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column 2

株式会社NSGホールディングス2020.09.01

「新潟県に501社の上場企業を」
創業当時から受け継ぐベンチャーマインド。

「人々の幸福と豊かさを実現する」という創業の精神に基づき、教育事業や医療・介護・福祉事業をはじめ幅広い事業を展開し、地域の活性化に取り組むNSGグループの中核企業・株式会社NSGホールディングス。NSGグループ全体を牽引する池田社長に、新潟の目指すべき未来を語っていただいた。

池田 祥護(いけだ しょうご)1978年、新潟市の古町にある古町神明宮(船江大神宮合祀)、古町愛宕神社を代々受け継ぐ家に生まれる。NSGグループに入社し、2008年に事業創造大学院大学事業創造研究科を修了。同年学校法人新潟総合学院理事、2009年同理事長に就任。2015年株式会社NSGホールディングス代表取締役社長に就任。2018年1月〜2018年12月には、公益社団法人日本青年会議所の会頭を務めた。

教育事業からスタートし、現在は幅広い分野で事業を展開

まず、御社の事業内容と沿革について教えてください。

もともとは1976年、新潟総合学院という名前で父と叔父が創業しました。実家は神社を生業としていたので、地域の守り神…地域を豊かにしていくという精神性があり、昔は神社が寺子屋として地域の教育機関の役割を担っていた時代もあり、じゃあ教育事業を通じて地域貢献しようと。「地方創生」という言葉ができる前から、そういう理念を掲げていました。

地域に良い教育機関があれば、学生が県外から来てくれるし、残る場所もできて人口流出に歯止めがきく。ただ、どんなに専門的で良い教育を提供できたとしても、卒業した後に働く場がなければ地域に人が残って発展していくのは難しい。それならば、エンターテインメントやスポーツ事業、医療・介護福祉施設など卒業生が活躍できる場や生活環境の整備もしていく必要があるぞ、と。そういうことで、働く場…自分が学んだものを活かせるような、それもトップランナーの企業をたくさん創造していくことが地域の発展に繋がるのではないかと、そういう仮説を立てながらさまざまな分野で事業創造に挑戦し、現在に至っています。

2020年4月には「専門職大学」という新しい大学制度による開志専門職大学を開学しました。一方で、新潟の地域の活性化を一つのビジョンとしながらも、福島や首都圏での展開をはじめ全国各地で事業展開しています。また、SDGsでもテーマとされていますが、やっぱり「持続可能性」はすごく大切だなと思います。単なる経済成長を目指すのではなく、地域社会の発展に寄与する事業を創造することで、持続可能な成長を求めてNSGグループは歩みを進めてきました。そういう意味を込めて、2020年4月から創業時の新潟総合学院に由来を持つグループ名の“NSG”に「New Sustainable Growth(新しい持続可能な成長を)」という新たな意味づけをしました。 

古町愛宕神社がNSGグループの創業の地。2001年新潟市指定の有形文化財(建造物)に。
開志専門職大学は2020年4月事業創造学部(紫竹山キャンパス)、情報学部(米山キャンパス)の2学部で開学。国際観光学部(紫竹山キャンパス)、アニメ・マンガ学部(古町ルフルキャンパス)を2021年4月開設に向けて設置認可申請中。

試行錯誤の連続だった20代

小さい頃は、神社とNSGグループという事業をどのように考えていましたか?

5歳ぐらいからお正月には神社に泊まり込んでお手伝いをするようになって、小学生では一晩中徹夜して火の番をしていましたね。神社に関しては、代々続いてきているものですから、小学校の高学年の時には継がなければいけないという意識はあって。父としっかり話し込んだのは高校に入ってからなんですけれども。ただ、NSGグループの事業に関しては、父からは「自分が好きな道をやりながら考えればいいさ」と言われていました。

NSGグループ創業者であり、現会長の池田 弘(いけだ ひろむ)氏。現在は、起業家支援プロジェクトにも力を入れ、各方面で精力的な活動を行っている。
池田会長からは「25歳まではやりたいことをやってもいい。ただし、25歳になったら必ず神社を継げ。それだけは人生の約束だぞ」と言われたとか。その言葉を受けて、どんな思いでしたか?

まあ、自然に受け入れられました。それまでは結構人生に迷ってたというか。自分は何をやりたいんだろうなと。ただ、父の影響で、経営者になることや事業をやることにはすごく興味があって。高校時代からは、経営学を学びながら、ありとあらゆるアルバイトを経験しました。「ここはどういう風に経営が成り立っているんだろう」とか、「どういう風に資金が回っているんだろう」とか、そういうことをリアルに勉強しながらやれたので、すごく思い出に残っています。ただ、自分は結局何がやりたいんだ?お金を稼ぐことが目的なのか?みたいな考えに、20歳前後の頃にはまだ至ってなくて。ただぼんやりと経営者になりたいという考えだけがありました。

いろいろな経験や挫折もある中で一番大きかった出来事は、アルビレックス新潟が2003年に J 1昇格を決めた時のスタジアムの歓喜。もともと僕はサッカーにあまり興味が無かったし、「雪国でサッカーなんて本当に上手くいくのか」と、社内で反対意見もあったと聞いていた。それなのに、4万人が集まった満員のスタジアムが一体となって応援し、そして歓喜に包まれた。「諦めずに絶対達成してやる」という強い意志を貫いて、それが達成された瞬間を見たら、なんかこういうのっていいなと。それと、理念とか志を共有して、みんなが一丸となって向かっていくというのが、生きる上では必要な力なんじゃないかなと感じました。それからは、留学して、その後新潟に戻ってきて、 神主になるために必要な資格を國學院大學で取得して、神職に奉職して…そして、事業活動もスタートするという形になりました。

最初はどんな仕事に就きましたか?

25歳で神職の資格を取得して、それ以来古町神明宮と古町愛宕神社の禰宜を務めています。27歳の時には、グループ内で飲食関連の会社を設立し運営しました。不動産、交渉事、人事管理、組織管理すべてをしなければいけませんから、本当に必死で、24時間考えていましたね。それと共にグループの飲食関連の事業をまとめる役割を担いました。そして30歳を機にグループ本部に移り、今に至ります。

25〜30歳までは試行錯誤と吸収の時期だったと。29歳の時に一期生として通っていた事業創造大学院大学では、何かエピソードはありますか?

昼働いて夜勉学をしていたので、ケースを通して学びながらそれを実践に移せたことは、すごく良かったなと思います。

初めてグループの要職についた時、感慨深いエピソードはありますか?

幹部の中では私だけが突出して年齢が若かったのですが、私の目から見た課題や感じたことを率直に父には伝えて、ディスカッションしました。ただ、最終意思決定は当時の代表が行うので、例え別な意見を持っていたとしても、一度決定したものに対しては、どう最善を尽くして実行するか、という風に進めてきました。

トップリーダー育成の仕組みをつくる

NSGグループは2021年で45周年。今後のグループの目標や、それを実現させるための中・長期的なプランを教えてください。

創業の精神や経営理念は変わりませんが、社会のニーズに合わせ、今の時代に合った事業にチャレンジして、そしてそれを担っていくリーダーの育成に努め、地域を活性化させていきたいと考えています。教育機関がスタートでもありますし、やる気がある人に対する機会の提供を、NSGグループとしてどう効率よく行っていくのかが、一つのテーマかなという風に思っています。

父が渋沢栄一さんを参考にして掲げた理念の一つに、「501社の上場もしくは上場並みの企業をつくる」ということがあります。「何を無茶なことを言っているんだろうな」と思う人が大半だと思いますが、本当にそれが出来た暁には、地域経済はもっともっと活性化するだろうと。そういう視点を持ったリーダーの育成にも、本気で取り組みたいと思っています。そういう大きな志を掲げて、事業計画に落とし込めている人の話は、聞いていてワクワクしますね。一つ一つの積み重ねになっていきますが、10年後はこうなっていたいというビジョンにはもう落とし込んでいて、育成方法や機会の提供を仕組み化している最中です。ある程度の仕組みは既にありますが、試行錯誤しながら、変化させながらやっていきたいと考えています。固定概念や限られた資源の中で、今まで当たり前と思われていたことを一回リセットして、世界に仕組みを提供できるようなビジネスが、今の社会のニーズに合った事業ではないかと思います。そういうことを実践できる企業がたくさん増えてきたら、やっぱり地域って、どんどん豊かになっていくんじゃないでしょうか。リモートワークもそうですが、それぞれの住みやすい環境で過ごしながら生きていける世の中になっていくのではないかと感じています。

これから新潟県をこんな風にしていきたい、こんな世の中にしていきたいなど、夢はございますか?

夢に向かって一生懸命走り続けていける人たちが増えるような世の中がいいなと思いますね。一生懸命やっているものがあるから、いろいろな喜怒哀楽が生まれてくる。生き抜けて良かったなと思える人たちをどれだけ増やせるか、という考えが世の中を平和にするんじゃないかな。そんな人たちが増えて、本当にいい企業がたくさんできた時には、地域は自然に活性化するだろうと思います。新潟は社会インフラなども十分整っていると思いますし、地域には魅力的な資源がたくさんあります。それを活用できれば可能性は十分あると思います。また、米百俵の精神は好きですね。目の前の米を食べて一時的に飢えをしのぐよりも、先を見据えて、教育に投資して、持続的な成長を求めようという考え方は大切だと思います。次世代の子供たちのためにも、そういう世界を残してあげようということに共感できるような考え方の推進を、ぜひしていきたいなと思います。

今後、社長が目指す経営者像は?

やっぱり父は参考になりますよね。あとは、多くの経営者の方が名前を挙げるかもしれませんが松下幸之助さん、稲盛和夫さん。いろいろな企業の代表の方に会ったりすると、志だったり生き方だったり、それぞれの理念をしっかりと確立している人たちが多いので、そういう経営者を目指したいと思います。あとは、「あの時チャンスをくれたから、自分は今こうあるんです」と言ってもらえるような、人の力になれるような生き方…最終的に出会えて良かったと言ってもらえるような生き方をしたいなと思いますね。人生いろいろなことがあって、紆余曲折ありますけれど、前向きに生き抜きたいなと思います。

やりたい意志が物事を動かす

グループ内ではさまざまな業種や年代の人が働いていますが、特徴的な社員教育の取り組みや事例は?

ベースは、本人のやりたいっていう意志があるかどうか。「この学びが足りない」と気付いたり、人に指摘されて「ああそうだな」と真摯に受け止め、学び、成長していく過程がすごく大事だと思っています。高い目標に向かって歩むための制度としては、事業創造大学院大学への通学を補助しMBAプログラムを学ぶ制度があります。また、段階的な研修の機会や積極的な資格取得を奨励する制度など、学ぶ機会の充実に取り組んでいますね。社内の文化や風土という面では、やりたいと言う人間には「まずやってみなさい」と言います。それと同時に、「全部が全部成功するなんてことはないけれど、挑戦する事が大事で、挑戦し課題にぶつかり、それを乗り越えようとする過程で成長する」という考え方がNSGグループにはありますね。

何を始めたとしても、最後までやりたいという気持ちがなければ続かない。

そうですね。完璧な事業計画だと思っていても、課題は絶対出てくる。その課題をどう乗り越えて PDCA を回してくか、どのようなチームを作って進めていくか、ということをスピード感を持って繰り返していかなければいけないと思います。高い志に向かって、やりながら課題を解決していって、仕組みづくりをし続けようということですね。

最後に、20代の就活生や新社会人、30代の中堅社員など、若い世代へのメッセージをお願いします。

当事者意識を持ち、何事も“自分のせいにする”生き方が大切だと思います。何かできない理由を並べるよりも、なんでできないんだろう?どうやったら物事を動かせるだろう?と考える。誰かから無理と言われても、すぐに諦めるのではなくて、「絶対にやってやる」という意志を貫き通す人たちが増えてくれると、すごくいいですね。もし反対意見があっても、「僕は、私はこう思うんです」「これはぜひやらせて欲しい」と、しっかりとロジカルに考えを伝え、実行に移せる人は期待したいなと思いますし。一度や二度失敗しても、そこで再チャレンジできるような、チャンスを与えてあげられるような世の中になって欲しいです。最初から完璧に出来る人なんていませんし、失敗を繰り返して、反省して、少しずつ積み上げていって人生を全うすることが大切なんじゃないかなぁ。挑戦せずに不平不満を言うような生き方じゃなくて、ぜひ当事者意識を持って、何事にも取り組んでいただきたいです。

インタビュー:2020年7月

Information

株式会社NSGホールディングス106法人で構成されるNSGグループの中核として、経営方針の策定及び経営管理などを行う。NSGグループの学校法人新潟総合学院は、2020年4月1日に新潟県で唯一の専門職大学「開志専門職大学」を開学。「世界一豊かで幸せなまち」を目指し、「人」「安心」「仕事」「魅力」をキーワードに、地域を活性化する事業の創造に取り組む。

〒951-8063 新潟県新潟市中央区古町通2-495
TEL:025-364-7011
FAX:025-222-2100
URL:https://www.nsg.gr.jp

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