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column 40

株式会社 ウオロクホールディングス2025.12.15

ウオロクが進む、
まっすぐな回帰。

1962年創業のスーパーマーケット「ウオロク」。6代目代表を務めるのは、現在34歳の葛見久賢社長。新発田で生まれ育ち、進学のため東京へ。埼玉で大手スーパーマーケットでの修行を経て地元へ戻った今、魚屋としての原点回帰や環境活動、子どもを軸にした地域イベントなど新たな挑戦に奔走する。これからのウオロクが目指す姿、スーパー業界の地位向上への思いや、次世代へのメッセージを伺った。

葛見 久賢(くずみ ひさたか)1991年、新潟県新発田市生まれ。青山学院大学卒業後、「ヤオコー」で店舗運営やバイヤーを経験し、小売の基礎と先進的な仕組みを学ぶ。26歳で帰郷しウオロクへ入社。店長や商品本部を経て、2025年に6代目社長へ就任。鮮魚の原点回帰、惣菜強化、環境活動、子ども支援など幅広い改革を進める。プライベートでは車が大好き。過去にはジャズバンドにも所属していた経験がある。

初代が築いた、“魚屋の原点”。

新発田ご出身ですね。

はい。生まれも育ちも新発田です。平成3年生まれで今34歳です。
大学に行くまではずっと新発田で過ごしていました。

ご自身が感じる新発田市の原風景はどこでしょうか。

五十公野公園の前に田んぼが広がっていて、そこにウオロク 東新町店があるあの辺一帯ですかね。田んぼがあって、公園があって、山が見えて。新発田の原風景を感じます。

子どもの頃の遊び場も、そのあたりが多かったですか。

子どもの頃は五十公野公園で釣りをしたり野球をしたりして遊んでいましたよ。今じゃ言うと怒られそうな遊びもしていましたね。田舎のワルガキだったというところでしょうか(笑)。

野球は小学校4年から中学校3年まで、かなり厳しい監督にずっと教えていただいていました。当時はもうおっかなくてしょうがなかったんですけど、今となってはすごく感謝していて。毎日叱られるプレッシャーがある中で練習をしていたので、「あの監督の恐怖に比べたら大抵のものは大したことないな」みたいなものが未だにあります(笑)。
精神力、体力がついたっていう意味で、あの6年間はすごく重要な経験だったかなと思います。

ご実家がスーパーをやっている、というのはいつ頃から自覚していたのでしょう。

幼稚園年長の頃には知っていたと思います。当時、私の祖父に当たる2代目の葛見久衛が社長をやっている時、ラジオ局FMしばたの番組内で、将来の夢を聞くインタビューを受けまして。そのとき幼稚園年長の私が「ウオロクの社長になりたいです」って言っていた録音が今も残っています。
ただ、ウオロクがどんなスーパーか知識は無いまま、子供ながら「どうやらうちはウオロクらしい。社長がおじいさんらしい」という認識だけでそう言ったとは思うんですけど。

ウオロクの初代からの流れを教えていただけますか。

ウオロクは私が6代目になります。
初代が曾祖母で、2代目が祖父、3代目の正樹社長が祖父の弟なので大叔父にあたります。4代目が父で、5代目は現会長の本多伸一という形です。

初代、 曾祖母が“ウオロクの原点”なのですね。

新発田のさらに奥の方の赤谷村滝谷という場所で、曾祖母は生まれました。曾祖母は家の事情で、魚屋に奉公に出たそうです。そこで魚屋の跡継ぎの人と結婚して、そこが葛見家でした。ただ、旦那さんは出征して、戦争から戻ってきた後に早くに亡くなってしまって。曾祖母が自分で魚屋をやることになりました。
そこから、自ら浜に出向いて魚を買い付け、天秤を持って行商して回ったというのが、ウオロクのスタートであり原点ですね。

そこからどのようにスーパーへ発展していったのですか。

後々、息子である祖父や大叔父が手伝うようになって、ご用聞きとして様々なところに気に入られて、ある程度お金も貯まってきました。
そのタイミングで「流行りのスーパーマーケットをやろう」という話に。反対意見もあったそうなのですが、2代目の社長が「これからの時代はスーパーだ」という熱い思いがあり、後押ししたみたいです。そして1962年に1号店を新発田に出した、というのが聞いている沿革です。

“魚屋から始まったスーパー”という原点は、今のウオロクにどう繋がっていますか。

昔から地元の方に「魚はやっぱりウオロクだよね」と言っていただけていて、魚屋のイメージが根強いというのが今にも繋がるウオロクの強みです。ただ、現在のウオロクはだんだん普通のスーパーになりつつあると私が感じていて。
それを、徐々に魚屋というイメージに合う、原点のスーパーの形に戻したいと考えています。
ストライクゾーンが明確であれば、ストレートを真っ直ぐ投げるべきだと思っていて。今までは変化球を投げてなんとかストライク取ろうとしていたのですが、ド直球を投げてストライクを取るほうが適切で、魚の部門に関してはより“古き良き魚屋の原点”に戻していきたい。まさに、今のウオロクは原点回帰へ動いています。

導かれるように、スーパーの道へ。

大学から東京へ。「東京に行きたい」という気持ちは、やっぱり強かったのですか。

正直に言ってしまうと、もう遊びたいからですよね(笑)。
実際、東京に行ってからは思いつく限りの遊びはたくさんしました。

大学時代はどんな進路を考えていたのでしょうか。

進路としては、大学は青山学院に行って英語が話せるっていうのもあったので、海外の大学院に行って、後に研究職に従事しようかと考えていました。留学試験も受かって、ゼミの教授から推薦状ももらっている状態ではあったので。
とはいえ、志していた文学研究は、これからも趣味の範囲内でできる世界でもあるので、この先を考えた時「何かしら職を、日本の手近なところで探した方がいいかな」と、自分の中で進路を思い直しました。心のどこかに、地元に根を付け、地域に信頼されるスーパーを経営する祖父や父の背中を見てきたからこそ、研究職では無い形で生業を見つけたいと思ったのかも知れません。
父にその話をしたら、「スーパーに知り合いがいるから、そこでバイトしてみたら」と言われ、オオゼキさんを紹介してくれました。実際バイトをしてみたら「スーパーの仕事って面白いな」と感じて。そこから徐々にスーパーの道に導かれるように進んでいきました。多分バイトに行くきっかけが無ければ、今頃は海外にいたかも知れないですね。

そこから一気に“スーパーの道”へ舵を切ることになったのですね。
ヤオコーに入社された当時、ウオロクのことはどのように見ていましたか。

実は正直言うと、ウオロクのことを当時はよく知らなかったんです。
ヤオコーさんに関しても、入る前の予備知識の範囲で「凄い会社なんだ」というざっくりした知識しか無かったですね。ヤオコーさんに入った当時はただただ必死に働いていたので、他のスーパーと比べたらどうだってことは感じていませんでした。

2年目にはバイヤーも経験されて、業界の見え方も変わりましたか。

そうですね。2年目にバイヤーをやらせていただいたことで、様々な企業に触れる機会が増えてきて、ここでヤオコーさんと関東近辺の他社の違いがやっと見えるようになりました。

ウオロクに入社するまでのヤオコーの3年間を振り返ると、“修行”という感覚が強かったですか。

はい、文字通り「修行」でしたね。
ヤオコーさんでは様々な新しい取り組みがあって、それが当時は普通だと思って働いていましたが、外に出てウオロクに入ってみると、「あの取り組みのおかげで業務が楽に出来ていたんだな」とか、「この手間は、内部のシステムで省いてたんだな」とか、効率化がいかにされていたか、という点でも3年間で学ぶことが多い環境だったと思います。
ウオロクが○か×か、という評価というよりは、「ヤオコーさんがどう○であったか」ということが、ウオロクに入って初めて分かった、というイメージですね。

叱られるのは、愛されている証。

ウオロクに戻ってきてからは、様々なポジションを経験されて、今年6月に社長就任。
今、会社を経営する立場として、ウオロクの「今」をどう見ていますか。

先ほどお話ししたように、「魚屋のウオロク」に戻っていく、鮮魚原点回帰は必ずやらなきゃいけないところだと思っています。元々魚屋だったので、鮮魚にもっともっと力を入れていきたい。
それと同時に、惣菜も力を入れたいと考えています。ウオロクの惣菜は結構おいしいと思っているんですよ。手前味噌ですけど(笑)。
スーパーは選べる時代ですし、最悪通販でもなんとでもできる。その中でお客様に選んでもらうには、リピートしていただける「おいしいもの」が必要不可欠です。
寿司も含めて、すぐ食べられるもののおいしさは、特にこれからもしっかりやっていかなくてはならないと思っています。

地元との関係性、地方のスーパーとしての立ち位置についてはどう考えていますか。

私たちの商いは、地方で後ろ指刺され始めたら商売していけません。
地元の方に認められ、普段使いしてもらう事が大前提であり、それがマストなステータス。そこから「プラスで何をやるか」を競い合っているイメージです。地元の人にそっぽ向かれた企業は、そもそも土俵に上がれていません。

ウオロクは他と比べても、その大事な“地元感”を意図的に打ち出している部分があって、それは支持を受けている一つのポイントだと思っています。
地元の農家さんに直納してもらって、地元の漁港から荷引きをして、地元のものを揃える。それで地元の方が喜んでくださるなら、地元の商いとしてこんなにイージーでシンプルなことはない。何せよ、トリッキーなことをやると続かないことが多いので、先ほどの話でも言ったように「ストライクゾーンに直球を投げた方がいい」と思います。それが今のところ支持を受けている部分だと思っていますね。

経営理念や創業精神については、どのように受け止めていますか。

ウオロクの理念の中には「叱られ、愛され、親しまれ」という、企業理念としては珍しい「叱られる」という言葉が入っています。これは“クレームを受ける”というより、「愛情の裏返しで、期待を込めて叱られている」という意味合いなんです。
お申し出には様々な意見があって、その中には改善のヒントがたくさん隠れている。叱られることを前向きに受け止めて、もっと良くなっていこうという姿勢を大事にしていきたい。
改めてもっと社員にこの考え方を浸透させていきたいと思っています。理念そのものを変えるつもりはないんですけど、社員一人ひとりが自分ごととして自分に落とし込むために、“かっこいい言葉”から浸透しやすい“日常の言葉”に翻訳していくことはしていきたいと考えています。今はまだその途中段階ですね。

業界全体を見ると、M&Aを含めた再編の波も大きくなっています。

20年前のツチダや10数年前のパワーズフジミのときは、ある意味切り売りがあって、その時うちもお店を取得しましたし、他スーパーでもそれぞれ切った貼ったで取得があった。他にも、外資本に入った地元スーパーも見てきました。

我々が今、売上規模で言うと1,000億くらい。世の中から見ると「中の中から中の上」くらいの規模の地方スーパーは結構たくさんあると思うんですけど、今はM&Aや業界の再編という流れで、ウオロクは“買う側”に立っています。でも10年、20年経つと、このクラスは“買われる側”に回る規模だと思います。
この10〜20年のスパンの中で、買われる側から買う側にボリュームアップできているのかどうかは、一つ大きい分岐点になると思います。1,000億ぐらいの規模は、毎年5店舗も10店舗も出店できるようなキャッシュの回り方をしていないので、どこかで必ずM&Aが必要になってきます。

これは新潟だけの話ではなく、各地方でそれが起きながら、全国クラスの大きいところが越境して、どんどん買っていく。その波に飲まれるか飲まれないかは、地方でどれだけガチっと地盤を固めていけるかだと思います。

人材面、採用や育成についてはどうお考えですか。

新卒は毎年それなりの人数を取っていかないと、本当に回っていかないなと感じています。
幸いなことに、ウオロクの社員の平均年齢は非常に若くて、38歳ぐらいです。部長や役員も全体からすると若い人間が揃っているので、幹部層として引っ張るリーダー側の人材はかなり育ってきていると思います。

とはいえ、お客様にとっては現場で相対する人がすべてだと思います。そこをもっとしっかり教育するために、今のベテランをどう活用するか、効率的な教育の仕方はないか。短い時間で育成して早期熟成させないといけないので、その仕組み化はもっともっとやっていかなきゃいけません。
そうしないと「人が足りないからこのサービス縮小しよう」という話になってしまうので、それを未然に防ぐために、今のうちから必要な投資や教育の仕組みづくりをしていかなきゃいけないと思っています。

若い世代やスタートアップとの接点づくりとして、InnoLabo NIIGATAにも参加されていますよね。

そうですね、今まさに取り組んでいるところです。
ピッチを聞いて「おもしろいな」と感じた企業には、まず挨拶をして、そこから「一度、話してみましょうか」という形で面談につながることが多いです。もちろん、すぐにビジネスになるわけではなく、時間はかかります。でも、その過程で視野が広がりますし、知り合いからまた別の知り合いへとつながっていくように、結果的にビジネスパートナーが増えていくこともあります。

入口としてInnoLaboは凄く面白いですね。こちらから動かなくても、いろんな業界の魅力的な人たちが集まってくるんですよね。私たちはピッチを受ける立場なので、受け手同士の交流も自然と生まれる。新しいサービスやビジネスのきっかけづくりとして、すごく可能性のある場所だと感じています。

社会貢献やSDGsの取り組みについても教えてください。

環境活動については、かなり前から続けてきましたし、これからも継続して取り組んでいきたいと思っています。SDGs自体は大事なのはもちろん理解していますが、SDGsを必要以上に前面に出すのはあまり好きじゃないんです。
というのも、SDGsって解釈の幅が広くて、いくらでも言い方を変えられてしまうところがあって。それよりは、具体的な目標が持てる環境の取り組み、成果が見える取り組みを積極的にやりたいですね。たとえば「CO₂をどれくらい削減できたか」とか、「ごみの排出量をどれだけ減らせたか」とか。数字として成果が見える活動に積極的に関わっていきたいと考えています。

あとは、子どもをきっかけにした取り組みもいろいろ進めています。
これまでに、日本ハムさんと一緒に、ファイターズのコーチを呼んだ野球教室をやったり、SBさんと五十公野公園でマラソン大会を主催したりしてきました。来月は東洋水産さんと一緒に柔道教室を企画していますし、三幸製菓さんと「バスケ教室もできたらいいよね」といった話も出ています。
こうしたイベントはもっと増やしていきたいですね。いわゆる子ども食堂的な、“子どもが困っている家庭”への支援も、金額の規模ややり方も含めて、より分かりやすい形にしていきたいなと思っています。

答えは東京だけにあるわけじゃない。

スーパーマーケット業界全体に対して、今後こうしていきたいという思いがあれば教えてください。

まず、スーパーマーケットの社会的地位を今の位置よりもっと高めたい、という思いがあります。昔からそういったイメージがあったかと思うのですが、今のスーパーの社会的地位は昔と変わらず低いままだと感じています。
就職先が決まって、「スーパーに就職が決まったよ」と言ったときに、家族から「いい会社に入ったね」と言ってもらえるような業界にしたいんです。

そのためには、一つひとつのスーパーが小さいままでは難しくて、企業としてしっかり成長し、発言力を持つ必要があります。福利厚生を整えたり、給与を上げたり、働き方を改善するなど、そういった取り組みを業界全体でやっていかなければいけません。取り組みが進んでいる企業もありますが、県内の大手数社だけが頑張っても意味がないんですよね。

業界全体が底上げされるように、トップランナーとしてトップラインを引き上げていく。これは一つの大きな目標です。そうすれば、働く人のイメージも変わるはず。今は「スーパーだからちょっと…」と敬遠されることもありますが、今後その印象が変われば、人の流れも確実に変わってくると思います。
もちろん競争は競争としてありながら、そのうえで協業できるところは協業していく。
スーパーという仕事の価値、そして地方で働くことの価値を、もっと上げていけたらと思っています。

ご自身の中で、大事にしているキーワードはありますか。

そうですね、「マルかバツかはっきり決める」というのは、ずっと意識しています。三角で終わらせないように、という感じです。特に仕事ではそのスタンスが強いですね。

マルかバツか迷うときも、「まあ、三角でいいか」では終わらせません。マルにするためにどういう要素を持ってくるか、逆にバツになるならどんな要素があるのかを整理して、ちゃんと結論が出せるようにしたいんです。先ほどのSDGsの話にもつながりますが、曖昧なまま進めると“やった感”だけで終わってしまい、本当に意味がある取り組みにならない。それが一番良くないと思っています。

社内の会議の中でも一度でも「これはバツだな」と思ったら、もうずっとバツですね(笑)。でも、マルバツを明確にすることで、私自身も判断しやすいですし、周りも「これは社長的にバツなんだな」と理解しやすい。結果的に“葛見対策”にもなって、スムーズに動けるんじゃないかと思っています。

では最後に、次世代、20代、30代の方々へメッセージをお願いします。

そうですね…と、言っても同世代なので、あまり先輩ぶってアドバイスするのも気恥ずかしいんですけど(笑)。

まず1つ目は、月並みですけど 「学生のうちにやりたいことは、とにかくやっておいた方がいい」 ということです。
行きたい場所があるなら、親にお金を借りてもいいから行ってみる。やりたいことがあるならやってみる。結果が「楽しかった」でも「失敗したな」でも、どちらでもいいんです。やってみたという事実や経験が自分の身となります。
全てが許されるわけではありませんが、大抵のことが許されるのって学生の間だけで、その環境の尊さって、終わってから気が付くんですよね。私自身もそうでした。

もう1つはお金との向き合い方です。
ただ貯めるだけじゃなくて、「稼ぐためにお金を使う」という考え方。投資って怖いイメージがあるかもしれませんが、「どこまでなら安全か」をきちんと勉強して、お金に働いてもらう方法を知っておくと、生きていく中で選択肢が広がります。
心の余裕って、案外お金の余裕にかなり近いところがあると思うので、「今月2万円貯まった」だけじゃなく、「その2万円をどう運用して増えたら面白いか」を考えられると、人生の景色がちょっと変わる気がします。

20代、30代でいかに視野を広げて選択していくことが出来るかは重要ですね。

選択するという面で言うと、新潟にいる人、東京にいる人両方に伝えたいのが、「答えが全部東京にあるわけじゃない」 ということです。
新潟には老舗企業も多いですし、最近はベンチャーマインドを持った人たちも増えて、それを支援する会社も増えています。土地もあって、地価も安い。新潟で仕事を始める、あるいは事業をつくる、新潟で就職して足場を抑えるという選択肢は、実はかなり魅力的です。
なんでもかんでも「立身出世のためには、東京へ行かないといけない」と思う必要はない。自分が新潟で暮らす未来と、東京で暮らす未来を、ちゃんと比較した上で選んでほしいですね。私自身、大学で東京へ行き、その後埼玉で働きましたが、それでも「新潟、全然悪くない」と思っています。

あと、これは全てに関わることとして、重要だと思っているのが “スピード感” です。
思い立ったらやる。思い立った時って、もう心の中ではほぼ答えが決まっていることが多いんですよ。人が「やるかやらないか」で迷ったときは、たいてい誰かに背中を押してほしいだけ。だったら、自分の中で答えが寄っている方に動いてしまえばいい。
人生の全ての選択する局面で、「やる方に気持ちが傾いているならやる」「やらない方に傾いているならやらない」。シンプルにそれでいいと思うんです。そして、マルだと思った選択に全力投球する。
そのスピード感を若いうちから持っておくと、いざ仕事を始めてからも、きっと自分の軸として活きてくるはずです。

インタビュー:2025年10月

Information

株式会社ウオロクホールディングス1962年、新潟県新発田市で創業し、下越・新潟・中越・上越エリアに店舗を展開する地域密着型スーパーマーケット。食品を中心に日用雑貨・酒類など幅広く扱い、「豊かな食生活のお手伝い」を掲げる。鮮魚の行商を原点に「鮮度へのこだわり」と「味の追求」を強みに、価値ある商品を買いやすい価格で提供。生活スタイルに合わせた売場づくりや新コンセプト店舗の展開を進めている。また、環境活動や子ども向けスポーツイベントなど、地域とつながる取り組みにも力を入れている。

〒950-8660 新潟市中央区鐙二丁目14番13号
TEL 025-246-2033 FAX 025-248-5411
URL:https://www.uoroku.co.jp

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